映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
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再び多忙
出国目前ということで、まただいぶ忙しくなってしまい、Blogを書く時間がとれないでおります。どうもすいません。

ホラー映画についての話とか
映画の本についての話とか
(いまさら)千と千尋の話とか

色々書きたいことはあるんですけどねぇ・・・
んがぁ
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映像の原初  === リュミエール兄弟の映像たち
久方ぶりの更新であります。気がついたらもう九月も半ばを過ぎ、10月の初めには大学へ戻らなければいけないもんで、色々パタパタとしておりました。

大学へ戻ればこのBlogも本格稼動です。

さて、その本格稼動をしてからこのBlogのメインコンテンツとなる、映画学一年生向けのコース「映画学入門」。その第一回目のお題はやはり過去のエントリー「映画はどこからやってきたんだろーか」でも取り上げた映画の創始者リュミエール兄弟の映画(映像)たちなわけですが、これってフツーのビデオ屋とかにもなさそうだし、なかなか見ていただく機会がねーんじゃねーかな、とちょっと困っておりましたら、ネット上にありました。
[映像の原初  === リュミエール兄弟の映像たち]の続きを読む
ちょっと忙しいです・・・
ここんとこ一時的に多忙でありまして、更新できてなくて申し訳ありません。月曜日の夜か、火曜日あたりに更新できればとは思っております。もう少々お待ちくださいませ。

映画学メモ管理人;タカ
「フィルム・アカデミア」さんの紹介
Blogを始めたお陰で、Blog「フィルム・アカデミア」さんとお近づきになることができました。ぶっちゃけ映画学メモよりもずっと高度な内容なのですが、目指すところはなかなか良く似ていて、映画学というものを芯に、映画に対するちょっと今までとは違う見方を紹介していく、というところは共通しているかなーと勝手に思っています。プロフィールの欄には「映画を少しばかり外から眺めてみるそのカタチ」と書いてあります。ステキ。
filmacademia.jpg
映画のレビュー、考察、ニュースなどがありますが、どれも秀逸でためになりますよー。特に「ボーリン・ケール女史的志向」というエントリーで引用されている映画の批評についての文章は、映画批評、または映画の学問的アプローチのあるべき姿を描きだした素晴らしい文章だと思います。

映画学メモと合わせて読んでいただくと、また面白いのではないかなと思います。映画学メモの方がまだまだ力不足ではありますが・・・。ぜひ一度訪れてみてください。

フィルム・アカデミア
ちょっとだけ映画学 ===カリガリ博士と表現主義=== 9月22日補足
「ちょっとだけ映画学」二回目は、「カリガリ博士と表現主義」というお題で、映画学入門第四回の内容のさわりだけ書こうと思います。

CabinetdesDrCaligari1920-01.jpg
「カリガリ博士」 1920年

ここで主題になるのは「映画には何が映っているのか」という問いです。

前回のエントリーでは、「映画において、画面に映っていないものは存在していない」と書いて、解釈の危険性について書きました。しかし、それを念頭におきつつも、やっぱり映画を通してどんなものが見えてくるか、っていうことは考えなければいけないわけで、今回はそういう映画の見方の一つについてのお話になります。

映画ってのは写真と同じように「現実感」が極めて強いメディアです。一応「現実の風景をそのまま写し取る」ということで(これは単純に「そのまま」とは言えないのですが・・)、絵画のような描かれたイメージよりも遥かに現実に近く、その現実感が映画の大きな特徴になってきました。

しかし、映画に絶大な力を与えてきた現実感は、一方で制限にもなります。「目に見えないものをどうやって表現するのか」という問題が出てくるんですね。人間の感情や、抽象的な概念などを表現するのが難しいわけです。

この問題は、絵画が映画よりも早くに手をつけていました。それが、目に見えるものを内面の反映として表現する表現主義です。
分かりやすいのはやっぱこれ↓でしょうか。
Expressionism.jpg

[ちょっとだけ映画学 ===カリガリ博士と表現主義=== 9月22日補足]の続きを読む
映画学と、「解釈という行為」の罠、そしてハードゲイ (9月13日補足)
先日、エントリー「対話の可能性」のコメント欄にて「あと3日実習生」さんより以下のようなコメントをいただきました。「あと3日実習生」さんありがとう。

コメディと恋愛?

本当~にどんな映画にも作られた社会的背景みたいなのはあるの?

 だってコメディとか恋愛ものとか、そういう感情にモロに突っ込んでくるものに何かその映画を作らせる社会的要因があるようにはあまり思えないのですが…。あ、恋愛に関しては「今会い」とか「せかちゅう」とかの例で話はしてましたね。それは一応理解できました。純愛モノがいまさら流行るのは、それが今かけているからだと。

 ん~じゃあ、コメディだって何かあるんですか。笑いの裏には何があるんで?きっと私が感情に流されて見えなくなってるだけなのかもしれませんが・・・我思うに、昔の映画には何かしらそのジャンルが発展する上での社会的背景やらがあったと言われれば、納得できなくもない。でも今の映画は何だか、それというよりは、商業目的で作られているような気がしてならないのです。社会的背景は何?といったら経済効果?みたいな。だから、映画のストーリー以外に意味とかあんのかよぉと疑ってしまいます、せんせぇ。実習で心も病んでるってか。

このコメントは、コメディに社会的背景があるかどうか、ということ以前に、冒頭の「本当~にどんな映画にも作られた社会的背景みたいなのはあるの?」という部分が映画学というものを考える上でものすごく大事な部分を突いているんですよね。つまり、映画学における「解釈」とは何か?という部分です。
JackBlack_on_kaisyaku.jpg


[映画学と、「解釈という行為」の罠、そしてハードゲイ (9月13日補足)]の続きを読む
ちょっとだけ映画学 ===エイゼンシュタインとモンタージュ理論===
ふと思い立ったので、10月の本格稼動まで何回かネタもないし「ちょっとだけ映画学」ってのをやってみよーかなーと思います。10月から始まるコース「映画学入門」の方でとりあげる話のうちいくつかについて、さわりだけ書いてみよう、という企画です。さわりだけなんで、どうしても浅い話になっちゃいますが、例えばこんなことやるんですよー、みたいな感じで。
20050908015034.jpg


今回は、「エイゼンシュタインとモンタージュ理論」というお題です。大体1920年代の話で、このお話は映画学入門の第5回のお題です。まぁなんだか難しそうなお題になってしまいましたが、「エイゼンシュタイン」ってのは人の名前でロシア(当時ソ連)の人ですね。
この人↓
Eisenstein_eigabaka.jpg
いやー、いい顔してるなぁ。もっとマトモな顔した写真もあったんですけど、せっかくですのでこれで。いかにも変人監督、ってな雰囲気でステキです。1898年から1948年まで生きた人でありました。
[ちょっとだけ映画学 ===エイゼンシュタインとモンタージュ理論===]の続きを読む
対話の可能性(byシュバンクマイエル)
そんなわけで、昨日のエントリーでツッコミを募集したところ、早速友達がこんなツッコミをくれました。これからの為のテストも兼ねて、ちょっと独立したエントリーとして取り上げたいと思います。

じゃあ、質問で~す

映画学ってなんすか?映画の事をやる学問が映画学でいいんでしょうか?
たとえば、社会科学だと政治学は政治の事、社会学は社会の事をやる学問って言えるけど、方法論でちょこっと違う所がやっぱある。かなり極端で独断と偏見に満ちた言い方すると、たとえば政治学的映画学は「映画とはなにか?」「主人公とは何か?」みたいななるだろうし、社会学的映画学だと「せかちゅうがヒットした社会的背景とはなにか?」みたいになるかもしれないし、経済学的映画学だと「どうやったら、与えられた映画の設定の中でAとBは恋に落ちるだろうか?」みたいな感じ?う~ん、単純にいうとWhat?かHow?かその中間で問う学問か、という事です。(社会学は帰納法より、経済学は演繹法よりみたいですが)何を聞かんをしてるのか、自分でもよく判らなくなってきたけど、なんかそんな感じに映画やってりゃ映画学じゃねーぞみたいな事ってあるんですか?マジレスだと3000文字越えるというなら、1行でおとしてください。よろしく~ (実はマスターかなりヤヴァかったニート さんより)

なかなか面白い質問でした。ちょっと使ってる言葉が難しいけど・・・。「映画学って何?」ってな部分を補完してくれると思います。ちょっと修正したり足したりしましたが、コメント欄の方に書いた、僕なりの答えはこちら↓

質問の答え(一行版)→なんでも好きなようにやってもいいのが映画学でーすw 

別な言い方をすれば、上にあげてくれた政治学的、社会学的、経済学的、と言ったあたりは全部入ってくるよ(でも経済学的、はあんまないかな)。ってかwhatもhowも両方やらなきゃしょーがないものね。帰納的、演繹的という言葉でいくなら映画学は「映画」っていう研究されるものが具体的にちゃんとあるから、それに対しては帰納的なアプローチも演繹的なアプローチもとるね。

映画学ではform(形式=how)content(中身=what)っていう分け方だね。つまり、与えられた映画の中で、何が映っているか(中身)と、それがどういう風に観客に見せられているか(形式)、っていう風に考えるかな。もちろん何が映ってるか、ってのも大事だし、同じ物が映っていてもカット割りとか構図とか色とか何やらで全然意味が変わってくるわけですよ。たとえば同じゾンビが出てくる映画にしても、ゾンビの視点からみた映像が入るか入らないかで、観客がゾンビの立場に立つか立たないか、ゾンビと、または主人公とどう距離をとるか、みたいなのが変わってくるよね。まぁ微妙になんだけど、確かに変わってくる。

補足として書きますと、たとえばうちの大学で映画学やってる先生って、もともと映画学やってなかった人達が結構いるんですよ。美術畑から来た人とか、言語学やってた人とか、英文学やってた人とか。だからみんな映画学に対する考え方やアプローチがけっこー違って、それがまた面白いんですよね。少なくとも僕の知る限り、「こういうアプローチは映画学として邪道じゃぁ」っていうものはないかなぁ。



もちろんいただいたコメントや質問全部をエントリーとして取り上げさせていただくわけではないですが、10月まではそんなにネタもあるわけじゃないですし、こんな感じでこのBlog読んで下さっているみなさんとの対話も絡めていければと思います。
ツッコミ募集中
「映画学メモ」はツッコミを募集しております。

「映画学メモ」は始まったばかりで、10月になってから本格稼動していくわけですが、やっぱり自分もまだ学生ですし、映画学っつう日本ではなかなか馴染みのないものについて書いていて、語り足りないところとか、上手く説明できていないところとか、沢山あるわけです。それに映画学ってのは、文学、芸術、政治、歴史、社会学、言語学etc、と色んな分野のお話が入ってくるもんですから、3年間やってきた自分にとっても全然聞いたことねーよー、みたいな用語が当たり前のように突然どっからともなく出てきたりしますし、「映画学メモ」を読んでくれているみなさんにとっても、いきなり馴染みのない分野の話がでてきたりすることがあることでしょう。だから、やっぱり僕がただ延々と書いてるだけじゃ話題が飛びすぎたり、みなさんが知りたいと思ってたり疑問に思ってたりするところをカバーしきれなかったりすると思うんです。

そんでこないだこのBlogを見てくれている友達と話していたら、彼が「あのBlog見てて不思議に思ったんだけどさー」っつって質問をしてくれたんですけど、それがまたいい感じの質問なんですよね。おまえそれをコメント欄に書いてくれよぉ、っていう感じの、僕が充分説明していなかったところを補完してくれるような内容だったわけです。今までコメント欄にいただいたコメントにも建設的で興味深いものが多くありましたしね。やっぱりみなさんがこのBlogのコンテンツを読んでくれた時に不思議に思ったことや納得しなかったこと、もっと知りたいなと思ったことなんかをどんどんコメントとして僕に発信していただけると、僕がカバーしきれない部分を思い出させてくれたり教えてくれたりするんだと思います。
・ここんとこってよく分かんないんだけど、どーいうことなの?
・ここで書いてあることは、じゃぁ別のあの映画についてはどうなの?
・私はここんとこってこーいう意味だと思うんだけど、合ってんの?
・etc,etc...
気軽にツッコミ入れてくださいませ。

もちろん僕には分かることより分からないことの方がはるかに多いでしょうし、時間の都合などでいただいたコメント全部にきちんと反応することができないこともあると思いますが、せっかくのインターネットなんで、読んでる方も書いてる方にいろいろと発信できるようにしながら進んでいけたらいいなと思います。
interactive_mumin.jpg


僕が一度書いたエントリーについて頂いたコメントなどで、説明不足だったところを気づかせてくれるようなものがあれば、そのコメントを独立したエントリーとしてとりあげて前のエントリーを補完する、といったことができればいいですよね。



リンクの方に、
樋口佳絵さんのサイト:「箱の中」

内田樹さんのサイト:「内田樹の研究室」
を新たに追加しました。
突然シュールリアリズムの話
このBlogのメインとなるコンテンツは「映画学入門」ですが、それと平行してとりあつかっていきたい話題にシュールリアリズムがあります。「映画学入門」は一年生のコースをまた辿るわけですが、シュールリアリズムについては大学院の方でコースを一つとるので、そこからの話題を中心に。

さて、シュールリアリズムといえば、みなさんどんなイメージがありますかね?
やっぱりコイツ↓
dalidalidali.jpg
とか、こういうの↓
lagrandefamille.jpg
あたりでしょうか。

これは個人的な印象なんですが、一般的なイメージとして、シュールリアリズムって美術史における色んな運動の中でもかなり馴染みがあって、イメージが固まっている運動なんじゃないかと思います。
sur-kun.jpg
なんてのもありましたしね。みんな覚えてますかー。

参加していたアーティストとしてはダリ、マグリットなんかが有名で、作品なんかもどっかで見たことあったりすると思います。シュールリアリズムの中身についても「シュール」なんて言葉が一般的に使われたりするぐらいですから、なんかこう、非現実的、幻想的・・・みたいな感じじゃねーの?っていうように、それなりに馴染みのある運動なんじゃないでしょうか。例えば印象派、未来派、表現主義、キュビズムなどといったところと比べると、シュールリアリズムは明らかに馴染みがあって、はっきりとしたかたちをみんなの中でもっているように思います。

でもそんなシュールリアリズムが、実は未だにその評価と美術史上の位置付けがまったく定まってなくて、ものすごく色んな解釈や受け取り方がある、というとこに、シュールリアリズムの特殊性があるんです。全盛期が1920年代、30年代だったムーブメントなのに、いまだにものすごくアクティブな研究分野なんですよね。
[突然シュールリアリズムの話]の続きを読む
リンク集
一応最初から左側に「リンク」のスペースがあったんですが、リンク先の名前だけしかのせられず、ちょっと味気ない感じだったので、別にリンクのエントリーを書くことにしました。左側に書いてある「リンクはこちら」をクリックすると、このエントリーが出てくるっつう仕組みでちょっとやってみようかなと思います。

リンクは随時増やしていきます。

[リンク集]の続きを読む
映画学と、フツーのハリウッド映画の関係
こないだこのブログを見てくれた僕の友達が「映画学ってフツーのハリウッド映画とかは見ないんでしょ?」と言っていて、そういえば映画学とフツーのハリウッド映画の関係ってちゃんと書いてなかったな、と思い当たったのでした。

見まっせ、ハリウッド映画。
個人的にはあんまり見ませんが・・・

一つ前のエントリーにも書きましたが、映画の存在意義というか、他のメディアとの決定的な違いは大衆性です。つまり沢山の人が娯楽として見る、というところに映画の一つの本質があるわけですから、アート系の映画とか実験映像だけ研究しても、映画について語ったことにはならんのですよね。だからハリウッドの映画も映画学の中ではとても大事です。

まぁこれを書いてる僕自身最近の映画に疎くて、そこは反省してるのですが・・・

「映画学入門」では、映画の成り立ちや変化、技法の発達などを扱うので、どうしても古い映画やいわゆる前衛的な映画が多くなってしまいます。でも、折をみて取り上げたいなと思っている、「映画学入門」以後の、二年生、三年生のコースでは、ごく最近のハリウッド映画や、ハリウッド映画ではないけども有名なアメリカ映画をよくとりあげます。あと60年代、70年代の大ヒット作ですね。

ジョーズ
イージー・ライダー
エクソシスト
エイリアン(「映画学入門」)
パルプ・フィクション
ブレア・ウィッチ・プロジェクト
エデンより彼方に
マルホランド・ドライブ(「映画学入門」)

といったあたり、今かなりゴチャゴチャにあげましたけど、映画学ではよく出てくる映画です。「エデンより彼方に」や「マルホランド・ドライブ」なんかはホント最近ですねー。その他に、教材としては指定されてないですが、グラディエイターやタイタニックなんかも出てくることはあるんですよね。

やっぱり映画が大ヒットする、っていうのには、その映画が単にお話として面白いっていうだけじゃなくて、その時代の空気とか、みんなの不安、欲求なんかが関わってくるわけじゃないですか。例えばエクソシスト。これって「悪魔」が女の子にとり憑いて、それを正義の神父さんがおいはらうって話なんですが、こんな時代遅れな悪魔憑きの話が大ヒットしたのは、ベトナム戦争やウォーターゲイト事件なんかで、アメリカ人が自分たちの「正しさ」に自信がもてなくなってきた時に、「悪魔」っていうこれ以上ないほど単純な「悪」を「正義」が倒す、という自分たちがずーっと信じてきた図式を見せてくれたからだ、みたいな話になってくるわけです。エクソシストは充分よくできた映画ですが・・・。ですから、ある種社会学的に、映画とその時代の関わりなんてやるときは、ハリウッド映画はすごく大事です。

映画学自体、はっきりとしたかたちがないものですからホントに色んなアプローチがあります。その中ではハリウッド映画なんかもすごく大事なんですよー。
映画はどこからやってきたんだろーか その参
前回はテクノロジー・技術革新の視点から、映画が生まれた19世紀末のヨーロッパ(というかアメリカの話もあったから、「西洋世界」ですね)を見てきました。今回は、思想上の転換点としての19世紀末西洋世界についてちょっと考えてみたいと思います。

とりあえず、今「思想上の転換点」なんて言葉を使いましたけど、これちょっと小難しそうな感じでよくないですね。要するに、「みんなの考え方が大きく変わる」ってことです。19世紀末には、とりあえず3人ほど、人間のものの考え方に大きな影響を与えた人達がいました。もちろんそれですぐに何かが大きく変わるってわけじゃなくてだんだんと変わっていくのですが・・・。そして大事なこととしては、映画はただ単に彼らの仕事と時期を同じくして誕生した、ということだけではなくて、映画がその発展において、少なくともこの3人のうち2人の仕事と密接に関係してきた、ということです。

書き終わってみると、今回もまたずいぶん長くなってしまいました・・・。

お時間のある時にでも
それか、何回かに分けて
のんびりと

ごらんください。
[映画はどこからやってきたんだろーか その参]の続きを読む
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