映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
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映画学と、「解釈という行為」の罠、そしてハードゲイ (9月13日補足)
先日、エントリー「対話の可能性」のコメント欄にて「あと3日実習生」さんより以下のようなコメントをいただきました。「あと3日実習生」さんありがとう。

コメディと恋愛?

本当~にどんな映画にも作られた社会的背景みたいなのはあるの?

 だってコメディとか恋愛ものとか、そういう感情にモロに突っ込んでくるものに何かその映画を作らせる社会的要因があるようにはあまり思えないのですが…。あ、恋愛に関しては「今会い」とか「せかちゅう」とかの例で話はしてましたね。それは一応理解できました。純愛モノがいまさら流行るのは、それが今かけているからだと。

 ん~じゃあ、コメディだって何かあるんですか。笑いの裏には何があるんで?きっと私が感情に流されて見えなくなってるだけなのかもしれませんが・・・我思うに、昔の映画には何かしらそのジャンルが発展する上での社会的背景やらがあったと言われれば、納得できなくもない。でも今の映画は何だか、それというよりは、商業目的で作られているような気がしてならないのです。社会的背景は何?といったら経済効果?みたいな。だから、映画のストーリー以外に意味とかあんのかよぉと疑ってしまいます、せんせぇ。実習で心も病んでるってか。

このコメントは、コメディに社会的背景があるかどうか、ということ以前に、冒頭の「本当~にどんな映画にも作られた社会的背景みたいなのはあるの?」という部分が映画学というものを考える上でものすごく大事な部分を突いているんですよね。つまり、映画学における「解釈」とは何か?という部分です。
JackBlack_on_kaisyaku.jpg


実習生さんの疑問はもっともで、とにかく大前提になるのは、映画において映っていないものはそもそも存在していない、ということです。これって当たり前に聞こえるかも知れませんが結構忘れがちになることなんじゃないですかね。つまり、社会的背景だろうが歴史的背景だろうが文化的背景だろうが、映画に映っていないものについては映っていないわけで、どんなにキレーに当てはまるように見えても根本的なところでは主観的な想像の域を出ない、ということです。だから、映画を通して「こういう背景があったんじゃねーの?」とか「こーいうことがこの映画の表現には影響を与えてる気がすんなぁ」というのは提案、想像、推測、解釈といった類のものであり、それは事実、真実では決してないわけです。

こないだちょっとだけ、エクソシストとエクソシストがヒットした社会的背景みたいなことを書きましたが、それだってどんなに当てはまると思ったとしても、単に映画を「解釈」してるのであって、社会的背景を「解明」しているのではないですから、あんまり解釈の力を信じすぎるのは危険です。映画から社会的背景を読み取るなんてのは、自分の解釈がキレイに当てはまったりするとその自分の解釈に納得してしまって、映画とその映画の社会的背景があたかも切り離せない一つのもののように考えたりしてしまいますが、実体のある「映画」と、想像でしかないその映画の「解釈」というのはお互い別々のものだ、というのはすくなくとも映画学においてはしっかり認識しておく必要があることだと思います。

もちろん、例えばソビエトの共産主義がその時代の映画に影響を与えていたことはどう考えても間違いないわけで、そういう意味で「定説」となっている映画の社会的背景なんかは沢山あります。でも根本的な意味で映画とその解釈は別なので、映画は社会的背景をもっているもんだ、とかこの映画にも社会的背景があるハズだ、というように考えてしまうのはちょっと危険かもよ、ということですね。

んで、そういうことをふまえた上で、実習生さんの「コメディに社会的背景はあるの?」というコメントに僕なりにお答えすると、まず「コメディにも社会的背景はある」という答え方ではなくて、「コメディも、その映画がつくられた社会的背景を提示するような解釈をすることはできる」ってな感じの方が、僕はしっくりきます。まぁめんどくさいので、基本的にそんな細かい言葉遣いは気にしませんが、今回だけ。

んで、どんな社会的背景がコメディから考えられるか、というと、まずコメディ映画の一つの流れとして、「古い価値観と新しい価値観の衝突が笑いを生み出す」というのがあると思います。今頭に浮かんだのはチャップリンの「モダン・タイムズ」なんですが、これはチャップリンが新しいテクノロジーとか考え方と上手くいかなくて四苦八苦する様子が笑いを生むわけですよね。
chaplin-modern-times.jpg

もっと最近の例だと、この↓写真の元ネタである
JackBlack.jpg

「スクール・オブ・ロック」も物語を動かす原動力は古い考え方の学校教育と、それに反抗する新しい考え方の学校教育、という図式でした。教育が厳しい名門校の子供たちに、ジャック・ブラック扮する(偽者)教師がロックを使って授業をする、という映画です。僕は大好きだったんですねー。

だから、コメディも古い考え方と新しい考え方の衝突、という一つの図式で見てみると、社会的背景を映し出してる部分があるように思います。チャップリンの「モダン・タイムズ」でいうと、そこでの19世紀的な人間観が古い考え方で、新しい考え方ってのは「流れ作業」とか「巨大な機械構造」なわけですから、なかなか当時の時代を映しているわけです。「スクール・オブ・ロック」も、古い考え方として古い学校教育がまずありますよね。そんで新しい考え方、ってのはこれはちょっと複雑なんですが、ロック、それも「ある程度時代遅れなモノとしてのロック」なわけです。単純にロックだけであればそんなに新しくもないですけども、「時代遅れなモノとしてのロック」というのは現代的なモチーフですよね。

あと他には、「タブーと許容の中間にあるもの」というのがコメディの流れとしてあるのではないかなと思います。つまり、社会的に許されているような、許されていないような、という微妙なモノが、笑いを作り出す、という図式です。

つまり、この人ですヨ↓
c9ba6ce2.jpg
この人は映画と全然関係ないですが、あんまり分かりやすい例だったので採用しちゃいましたよ。つまりこの人の芸風はゲイが全く社会的に認められていなかったら全く許容されないし、ゲイが完全に社会的に認められていたら、珍しくないわけです。まぁ別にゲイが社会的に認められていたら、ああいう人間がフツーにいる、ってわけじゃないですが・・・。まぁそういうタブーと許容の間にいるものがコメディになるとすればですよ、タブーであるものと許容されるものも時代とともにどんどん変わるわけですから、コメディが時代を反映するひとつのかたちですよね。

映画でいうと、今思いついたのは「恋の門」という最近の邦画です。これもすっごい面白い映画で大好きなんですが、この映画ではコスプレ好きで同人誌を描いたりしてる女の子がヒロインなんですよね。
20050912023854.jpg
それでコミケなんかも出てくるんですが、ここではコスプレや同人誌といった一般的に言う「オタク」が社会的にはまだ完全に認知されていなかったり、イマイチ変な人扱いされている(タブー)んだけど、みんな存在は知っていて、何らかのかたちで興味を持っている(許容)というところがコメディの原動力の一つになっていると思います。

ってな感じで、実習生さんの質問の答えになってればいいのですがね・・・。




9月13日補足

コメント欄に、実習生さんからまたコメントをもらいました。こちら

エントリー読んだのですが…(^^;)

コメントを書こうと思ったのですが、何だか書けない…私思うに、イマイチピンと来てないと思うんです…。すんまそんm(__)m

えーっと、映画は必ずしも何らかの社会的背景を背負っているから作られているのではないということは分かりました。原因→結果ではないということですよね。でも、コメディの説明はよくわかりません。
『古い価値観と新しい価値観の衝突』は、どのコメディにも当てはまるんですか?自分の知っているコメディに当てはめてみるも、イマイチよくわかんないんだす。

というわけで、どうもすいませんでした。いやーなかなか上手く書けねーなとは思いながら書いてたんですがね。そんで僕の返信がこちら

すまんね >実習生

俺もあんまりコメディについては勉強してなかったものでね、分かりにくい文章になってすんませんでした。いつもコメントありがとう。

えーと、まずね、「古い価値観と新しい価値観の衝突」ってのも「タブーと許容の中間」も、「コメディ映画の一つの流れとして」と書いたように、全部のコメディに当てはまるものではないですよ。つまり、「コメディのかたち」の一つの例だす。コメディに限らず一つのジャンルを全て包括するようなセオリーってのは基本的にはないと考えていいんじゃないかなぁ。

そもそもコメディと社会的背景みたいなものはつながりがあるのかどうか?って話だったよね。そんで、俺が言いたかったのはね、簡単に言うとコメディの色んな要素の中で大事なものの一つに「ズレ」というのがあるんじゃないかな、ということ。例えば何かの中に、突然全く別のものが放り込まれてズレが生まれる、というようなことだよね。乱暴な言い方をすると、その「ズレ」は新旧の価値観のズレでもいいし、タブーと許容のズレでもいい。だから、「何と何が、どうしてズレているのか」を見ていけば、コメディを通して時代的背景が見えてくるんじゃないかなぁ、ということだったんですね。

そういう意味で「モダン・タイムズ」は20世紀の機械化文明と、その中に放り込まれた19世紀的人間とのズレが笑いを生むわけだし、「スクール・オブ・ロック」は保守的な教育と、その中に放り込まれたハチャメチャなギタリストとのズレが笑いを生む、と言えるんじゃないでしょか。

これは実習生さんが、お笑いコンビ「ラーメンズ」を好きなのを知ってるから書くんですが、ラーメンズには「小林さんがものすごくベタベタなキャラを演じる」というネタがよくあるでしょう。あれも、ああいう古いものが突然現代に放り込まれる「ズレ」があるわけじゃない。ああいう表現がフツーだった時代、つまり、時代との「ズレ」がない時にやっても、ギャグとして成立しないわけで。

とりあえずこんなとこでしょうか。
なかなか上手く書けなくてすいません。
精進します。





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コメント
この記事へのコメント
エントリー読んだのですが…(^^;)
コメントを書こうと思ったのですが、何だか書けない…私思うに、イマイチピンと来てないと思うんです…。すんまそんm(__)m

えーっと、映画は必ずしも何らかの社会的背景を背負っているから作られているのではないということは分かりました。原因→結果ではないということですよね。でも、コメディの説明はよくわかりません。
『古い価値観と新しい価値観の衝突』は、どのコメディにも当てはまるんですか?自分の知っているコメディに当てはめてみるも、イマイチよくわかんないんだす。
2005/09/12(月) 08:42:33 | URL | もやさん、すなわち実習生。 #-[ 編集]
すまんね >実習生
俺もあんまりコメディについては勉強してなかったものでね、分かりにくい文章になってすんませんでした。いつもコメントありがとう。

えーと、まずね、「古い価値観と新しい価値観の衝突」ってのも「タブーと許容の中間」も、「コメディ映画の一つの流れとして」と書いたように、全部のコメディに当てはまるものではないですよ。つまり、「コメディのかたち」の一つの例だす。コメディに限らず一つのジャンルを全て包括するようなセオリーってのは基本的にはないと考えていいんじゃないかなぁ。

そもそもコメディと社会的背景みたいなものはつながりがあるのかどうか?って話だったよね。そんで、俺が言いたかったのはね、簡単に言うとコメディの色んな要素の中で大事なものの一つに「ズレ」というのがあるんじゃないかな、ということ。例えば何かの中に、突然全く別のものが放り込まれてズレが生まれる、というようなことだよね。乱暴な言い方をすると、その「ズレ」は新旧の価値観のズレでもいいし、タブーと許容のズレでもいい。だから、「何と何が、どうしてズレているのか」を見ていけば、コメディを通して時代的背景が見えてくるんじゃないかなぁ、ということだったんですね。

そういう意味で「モダン・タイムズ」は20世紀の機械化文明と、その中に放り込まれた19世紀的人間とのズレが笑いを生むわけだし、「スクール・オブ・ロック」は保守的な教育と、その中に放り込まれたハチャメチャなギタリストとのズレが笑いを生む、と言えるんじゃないでしょか。

これは実習生さんが、お笑いコンビ「ラーメンズ」を好きなのを知ってるから書くんですが、ラーメンズには「小林さんがものすごくベタベタなキャラを演じる」というネタがよくあるでしょう。あれも、ああいう古いものが突然現代に放り込まれる「ズレ」があるわけじゃない。ああいう表現がフツーだった時代、つまり、時代との「ズレ」がない時にやっても、ギャグとして成立しないわけで。

とりあえずこんなとこでしょうか。
なかなか上手く書けなくてすいません。
精進します。
2005/09/12(月) 16:26:25 | URL | タカ #6SWgxDAM[ 編集]
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