映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
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貞子はどこからやってきた?
今回は、前回のエントリーでとりあげたRobin Woodの「抑圧の回帰論」について、ゾンビとはまた違ったモンスターでケーススタディをやってみようと思います。

というわけでお題はこの人;
sadako1.jpg
貞子さんであります。レディーをモンスターなんて呼ぶのもちょっとアレですが。

では、「抑圧の回帰」ということを考えた時に、「貞子」とは一体なんだったんでありましょうか。今はフツーに女の子が髪の毛で顔が隠れたりすると「貞子だー」なんて言ったりしますよね。あるモンスターがそれくらい社会の中に浸透するってことは、それなりの理由があるんじゃねーかなと思えるわけです。「抑圧の回帰論」に沿うと、それくらい僕らみんなの中で共有されている抑圧に関わっている、というわけです。



結論から言うと、貞子というのは、僕らの中で抑圧されている「情報としての感情を、感情として受け止めること」がモンスターとして回帰した姿だ、と言えるように思います。もちろん僕の勝手な解釈なんですがね。ちょっと分かりにくい言い方ですみません。

「情報としての感情」とは、例えばテレビやネットを通じて触れるもののように、僕らが直に接しているわけではない感情です。その「情報としての感情」から、僕らはいつも距離をおきながら生きています。例えばリングでも重要になる、テレビ。僕らがニュースなんか見ていて、つい2、3、日前にもパキスタンで地震がありましたが、そういった災害のニュースとかを目にしたとしますよね。そんで現地の映像なんかを見ると、女の人とかがすごい泣いていたりする。男の人がなんか叫んでたり。そこには、強い感情が提示されているわけです。でも、僕らはいちいちそういった感情に同化していくわけにはいかなくて、地震のニュースを見て、ひどいなぁ、かわいそうだなぁと思っても、泣くわけじゃないですよね。

もちろんこれが悪いことだって言ってるわけではなくてですね、しょーがないわけです。そんないちいちテレビのニュース見て泣いたりしながら生きていくのなんて無理ですから。でも、今の、ネットなんかも含めて情報過多の世界に生きていく僕らが、例えばテレビの中の悲劇から距離をおくことをしている、そしてその「距離をおいている」という事実を意識の中で抑圧していることは確かだと思うわけです。

でも貞子はそれを許さない。

つまりそれが、怨念という感情を背負って実際に「テレビから抜け出てくる」貞子というモンスターの起源であるように思います。僕らの中で抑圧されている「情報としての感情を受け止めること、その感情に関係すること」は、貞子というモンスターとして、そして彼女の、テレビの中(情報としての貞子とその感情)から抜け出して来てテレビの前の人間を殺す(関係する)という行為によって、回帰しているという具合です。

実際のところ、もし貞子がテレビから出てこないんであれば、あの呪われたビデオの映像も、ニュース的な情報でしかないわけです。貞子の過去を知った登場人物たちは貞子が可哀想だなぁとは思うかも知れませんが、そこでやはり貞子の感情からは距離を置いてしまう。それは僕らみんながそうしなければ生きていけない、現代社会における「情報としての感情」との関わり方なのではないかなと思います。

そしてもしこの論理に沿って考えるのならば、この抑圧は極めて現代的であって、かつ多くの現代人に共有されているものだと見ることができますから、リングがあれだけ(海外においても)大ヒットした理由の一部を説明するものとして考えることができますね。



そんなわけで、「抑圧の回帰論(Return of the Repressed)」のケーススタディとして「リング」の貞子について書いてみました。「抑圧の回帰論」は、ホラー映画についての多々あるセオリーの一つでしかなく、また貞子というモンスターについてもここで書いたものとは違った解釈がもちろん沢山あるわけですが、映画学ではホラー映画についてこんな考え方をしたりするんかー、みたいな感じで参考になれば幸いです。
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コメント
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2005/10/10(月) 04:04:31 | | #[ 編集]
貞子に会ったらどうすればいいですか
ブラウン管の中と外の現実を結ぶ存在としての貞子論、興味深いです。Return of the repressed、来ましたね。エイリアンの例がタカさんの本に載ってませんでしたっけ。モンスター達が生まれた背景みたいなの、考えていくのも面白そう。あたしは逆にモンスター達の死に際?が気になります。怪物が死ぬことで何が変わったのか、とか。でも、最近のJホラーはモンスターが死にませんね。リングも謎は解けても貞子はノンストップでしょ。って事で、貞子やカナコに出会ってしまったり、着信に自分の悲鳴が入ってたらどうすればいいですか?機関銃とか、エクソシストとか効かなそう。しかも伝染性なので逃げてもまた来そうです。製作者がこういうモンスター?達をやっつけないでおくのは続編を作りたいからって事だけじゃない気がします。
2005/10/10(月) 19:49:24 | URL | ヒカリ #-[ 編集]
モンスターの死について
とても面白いコメントありがとう。

モンスターの死っていうのは、もしモンスターが抑圧の回帰したものだと仮定すると、それは回帰した抑圧を再び抑圧しなおすプロセスだという風に見ることができると思うんだね。

つまり、モンスターが退治されることによって、回帰し、観客に突きつけられていた抑圧が、また抑圧という制度の中に帰されるんだね。それはモンスターがいなくなることによって訪れる映画の中の平和は、観客の心理の中における秩序(抑圧⇔非抑圧のバランス)の回復と対応すると言えるように思います。

だから、ヒカリがコメントに書いたように、最近のモンスターが本当の意味で「死なない」というのは、僕らの中で抑圧されているものが抑圧されきらない、という状況と対応しているのかも知れません。楽天的になれずに、すごく不安を抱えた時代の雰囲気が、モンスターを殺さずにおいているんだと思うよ。

もし僕らがもっと自分の健全さとか、時代の健全さとかを無邪気に信じることができたら、モンスターはもっとはっきり死んでいくんじゃないのかな。
2005/10/10(月) 23:58:12 | URL | タカ@映画学メモ #6SWgxDAM[ 編集]
なるほど~。確かに日本は色々不安を抱えてそうです(-_-;)

ところで、今週から本格始動じゃないですか?授業始まるし。楽しみにしてマス!
2005/10/11(火) 13:14:52 | URL | ヒカリ #-[ 編集]
サナダムシはどこから出てきますか?
2005/10/11(火) 15:24:30 | URL | エイジ #-[ 編集]
本格稼動
ですよ。

>ヒカリ
俺だけじゃカバーしきれない部分については色々聞くかもしれんので、そん時はよろしくね。リーディングの話とか。

>エイジ
・・・・・エイジだ!
ウェルカムなんだけど、サナダムシとか意味が分からないから。

そーいえばサナダムシで思い出したけど、こないだバッタの寄生虫の動画を見たよ。なんかバッタに寄生虫がついてさー、その寄生虫が、バッタの脳みたいなのをコントロールして、水ん中に飛び込ませんの。そんでバッタが水に飛び込むと、その体からウニョウニョーってサナダムシみたいなその寄生虫が出てくるんだな。気持ち悪かったー。

そんだけ。また来てね。
2005/10/13(木) 18:13:10 | URL | タカ@映画学メモ #6SWgxDAM[ 編集]
バッタにパラサイトする寄生虫は『ハリガネムシ』と言います。
昔の子供はよく虫をとって食べたりしていましたが、バッタだけは口にしませんでした。なぜならサナダムシが寄生するかもしれないからです。

家の両親が言っていました。
2005/10/14(金) 23:38:10 | URL | エイジ #-[ 編集]
トピックとずれた話題に便乗して俺も
うちの母親も長野出身なんだけど、昔は「小さい頃は蜂の巣にストロー突っ込んで、蜂の子を吸ってた」って言ってたのに最近聞いたら「そんな野蛮な事はしたことない!」って否定された・・・
大人ってきたないです。。。
2005/10/15(土) 19:57:57 | URL | Hi-K #-[ 編集]
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