映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
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映画学入門 Week 3 (その1)
Week 3

D.W.グリフィスの登場と映画文法の確立


もう10月も終わりですねー。イギリスでは日曜日にサマータイムが終わりまして、時計を1時間戻す日だったのでありました。今日(月曜日)はやっぱり時計戻し忘れて授業の時間間違える奴とかいたわけでして、毎年これが楽しみでございます。僕もよく間違えるわけですが・・。

日本との時差は9時間に戻りましたー。

さて、今日は「映画文法の確立」ということで、映画というものが、やっと今僕らがフツーに見ている映画に近くなってくるところです。時代的にはだいたい1910年代から20年代あたりのことになります。そんでその映画文法の確立において中心的な役割を果たしたのがD.W.グリフィスという人でありました。
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D.W.Griffith (1875-1948)

今回の内容はこんな感じです。
1、「初期映画」のおさらい
2、「継続的編集」(Continuity Editing)とは?
3、D.W.グリフィスと、彼がもたらしたもの




1、「初期映画」のおさらい
グリフィスの登場によって初期映画というものは終わりを告げるわけですが、その初期映画というもの特徴について、もういちど大雑把におさらいをしておきましょう。

・見世物としての映画
まだ「写真が動く」ということのシンプルな驚き、物珍しさが先行しており、物語の完成度・緻密さ・面白さよりも見世物的な、「映像として体験すること」や「映像そのもの」の面白さが重視されていました。ですから、日常的な出来事をシンプルに撮ったもの(リュミエール兄弟)や、手品的なトリック・フィルム(メリエス)、車に轢かれることの疑似体験(ヘップワース)といった映画が出てきます。
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メリエスの映画より

・1シーン1ショット
基本的に、ひとつの場面がひとつのショットで表現されていました。カメラは場面全体を見渡せるように引いていて動かず、その場面が終わるとカットが入り、次の場面がまた大きなひとつのショットとして表現されるわけです。つまり、根本的に初期の映画は「映像化された演劇」だったということができます。たとえば会話している場面があったとしたら、それをずっと撮ってるだけで、クロースアップも視点の変化もないわけですから、演劇とあまり変わらないですよね。そういえばこないだ初めて聞いたんですけど、初期の映画にクロースアップがない理由のひとつってのが、「役者の全身がちゃんと見えてないと、お客さんが損した気分になる」っていうことだったんだそうです。これも今では考えられないですよねー。これは役者の全身がステージ上でちゃんと見える演劇を基準にした考え方なわけで、ここらへんも初期の映画の演劇との関係の深さがうかがえますよね。

またその他にも;
・作品の短さ
・カメラが遠いことによって役者の演技というのが表情ではなくてジェスチャーで表現されること
といった特徴をあげることができます。



では、Week3(その2)へ続きます。
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テーマ:研究 - ジャンル:学問・文化・芸術

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