映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
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映画学入門 Week3 (その3)
というわけで、やっとWeek3のまとめであります。まず、その1その2を読んでからご覧くださいませー。

3、D.W.グリフィスと、彼がもたらしたもの

現代映画の父と言われるグリフィスですが、基本的に彼が現代映画のルールやテクニックを発明した、という話ではなくて、彼の功績は既にバラバラに存在していたルールやテクニックを映画文法として体系化し、洗練した、というところにあります。彼の登場によって、映画は「演劇の映像化」であることからほぼ完全に離れ、映画メディア独自の発展を始めることになります。グリフィスが映画を変えていくのがだいたい1910年代のできごとですが、では彼が確立させた映画文法とはどのようなものだったのでしょうか。

・Continuity Editingの導入
前回お話したContinuity Editingという考え方も、その萌芽はグリフィス以前にも至る所に見ることができますが、グリフィスの登場とともにはっきりとそのかたちを現すことになります。前回も書きましたように、Continuity Editingの芯になるのは「観客の映画に対する没頭状態をキープすること」と、そのために「映画を組み立てている 編集 というものの存在に気づかせないこと」でしたね。このContinuity Editing自体はグリフィス以後も継続して発展していくものであって、グリフィスの映画のContinuity Editingはまだ稚拙なところもあるのですが、それでもはっきりとその効果と用法を意識して使われている、というのは大事なところであります。二つほど例をあげますと、まず前回も説明しました180度ルールがありますね。これがグリフィスの映画ではしっかりと守られています。さらにもう一つは「動作上の接続(match on Action)」というのがあります。


これはですね、一つ動作を橋渡しとして二つのショットを編集することで、その編集の存在を分かりづらくする、というものです。

また僕の絵でホントすいませんが、部屋の中にいる登場人物(A)が、ドアのノックの音で振り返る、というシーンがあるとするじゃないですか。まずAがいて
20051102172500.jpg

ここでドアをノックする音がする。そんでAが振り返る時にですね、その振り返る動作の半分まで
20051102172744.jpg
ここまで、一続きのショットで、その後、振り返る動作をそのまま引き継いで、部屋全体のショットに切り替わったりする、つまり、
20051102173721.jpg
こういう感じですね。これはさすがに実際に見てみないと分からないんですが、一つの動作(ここでは「振り向く」という動作)を橋渡しに二つのショットをつなぐと、その編集がすごく気づかれにくいんですね。これを「動作上の接続」といって、Continuity Editingのテクニックの一つです。グリフィスはこのテクニックも使っているんですね。

ここでは180度ルールと動作上の接続を例としてあげましたが、この他にも沢山の(それまでバラバラに存在していた)テクニックをつなぎ合わせて、グリフィスはContinuity Editingを体系として確立していきます。

・様々な種類のショットの使用
グリフィスは「ショット」というものについても二つ、重要な発見をしています。一つ目は、あるショットの意味は、その前のショットによって決められるということ。これはどういうことかというとですね、基本的にグリフィス以前の映画においては、一つのショットは、それ自体で何らかの意味なり動作なりを指し示さなければいけない、と思われていました。たとえば、ただ単に登場人物が笑っているだけ、とかはなかったんですね。それだけ単独で見た場合に物語上の意味とかが分からないからダメだ、と考えられていた。でもグリフィスは、意味はショットの中だけに存在するのではなくて、前のショットとのつながりでも決められる、ということに気づいたんですね。つまり、ただ単に登場人物が笑っているだけでも、その前に、例えば誰かがその人物に冗談を言っているシーンがあれば、その笑っているショットは、その冗談に笑っているんだな、とみんな勝手に解釈してくれて、ちゃんとしたショットとして有効なわけです。冗談を言っているところから、言われた人が笑っているところまで、一続きで撮る必要がない、ってことですね。

そして二つ目の発見は、カメラの位置や動きがショットの意味を決めるのであって、その逆ではない、ということです。つまり、これこれこういう意味のショットだから、こういうカメラワークにする、というのではなくて(そういう側面もあるのですが)、動きや配置などのカメラワークがショットに意味を与える、ということですね。つまり、例えば戦争のシーンがあったとして、そこを登場人物のクロースアップで組み立てれば緊張感がでるし、動いているカメラで撮れば躍動感、引いたカメラで撮ればスケールの大きさ、という風に、まずカメラの使い方で意味を作っていくことができる、ということですね。今の見方で考えると、今はいろんなカメラの使い方があるのが常識だから僕らも自然に「このシーンはこういうシーンだから、こういう風に撮ろう」という感じで「シーンの意味がカメラを決める」というように考えますが、90年前はまだカメラワークという考え方自体もほとんどなかったわけですから、そんな時代にカメラの使い方によってショットの意味を作ることができる、ということに気づいたグリフィスはやっぱすごかったわけです。

さて、この二つの発見がどういう意味を持つかというと、前のショットとの組み合わせやカメラの使い方で自由にショットの意味をつくることができる、という話ですから、様々な種類のショットが使用され、その組み合わせ方もどんどん複雑になっていくわけです。



と色々書いていたんですが、ちょっと明日までに読んでおかなきゃいけないものなんかも沢山あるので、今日はこれくらいに・・・。しょーもない絵とか描いてるからいけないんですけどね・・・。

ただ早くグリフィスまとめないと次行けないんで急ぎます!んもー。次回は複雑になったショット構成の例からでございます。
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テーマ:研究 - ジャンル:学問・文化・芸術

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