映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
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映画学入門Week3 (その4)
まだグリフィスですよ!正直早く次に移りたい・・・。

そうそう、次回の教材になっている映画は「カリガリ博士」(1919年)でございます。これはけっこーフツーのビデオ屋さんなんかにもあるんじゃないかと思いますので、機会のある方はぜひご覧になってください。なかなかスゴイですよ!

・様々な種類のショットの使用(つづき)

前回は、ショットの組み立てとカメラの使い方について、グリフィスが二つの重要な発見をした、というところまででしたね。二つの重要な発見とは;
1、あるショットの意味は、その前のショットによって決められる
2、カメラの位置や動きがショットの意味を決めるのであって、その逆ではない
ということでした。これはつまり「ショットの意味」が、前後のショットとの関係カメラの使い方によって自由に決められる、ということですから、結果として映画を組み立てる上で様々な種類のショットが使用され、ショットの組み立て方も複雑になっていくんですね。

例として、グリフィスのクロス・カッティング(Cross-Cutting)をとりあげたいと思います。これはその名の通り、一つの場面に向かって展開する二つの場面を交互に見せて、緊張感を高める技法です。



例えば、どこかの部屋で悪人に襲われてる女の人がいて(場面A)、それを助けに向かっている男の人がいたとします(場面B)。展開的には、映画ですから、男の人は間に合うんですよね。間一髪のところで部屋に男の人が入ってくる、というところで二つの場面は繋がります(場面C)。これがですね、グリフィス以前の見せ方だとA→B→C、またはB→A→Cという風に、どちらの場面も一度だけ見せて、そのまま最後に繋げちゃう。そこをグリフィスは、クロス・カッティング、つまりA→B→A→B→A→B→Cという風に両方の場面を少しずつ見せていくわけです。だから最後の方では、もう女の人が悪人に捕まる~みたいなとこで、もう部屋のすぐそばまでたどり着いた男の人に切り替わったりとかして、すごく映画の緊張が高まるんですね。グリフィス以前の映画と比べると、物語を語る手法(ストーリーテリング)として非常に高度な技法でありまして、カメラの使い方や前後のショットとの関係によって映画に多様な意味を与えられるということを発見したグリフィスならではのテクニックと言えるんじゃないかなーと思います。

このように、グリフィスの登場によって「ただ見るのが面白い」「映像というものがあるのが面白い」 、という「見世物としての映画」の時代は終わり、映画は物語、またはドラマとしての完成度を高めていくわけです。



・中産階級を映画館へと向かわせる

グリフィス以前の映画は基本的には労働者階級のものでした。映画ってのは低俗な娯楽と見られていて、例えば役者にとっても、演劇の舞台をやるというのが役者としてのマトモな仕事で、映画に出ることはかなり不名誉なことだと考えられていたんですね。だから基本的に中産階級、またはそれ以上の階級の人たちは映画館に映画を見に行くなんてことはなかったらしいです。

それがグリフィスの映画によって、中産階級も映画館に足を運ぶようになります。グリフィスの映画がただの低俗な娯楽ではなくて、芸術としての鑑賞に堪えうるものだ、という風に見られたからですね。これは映画というメディアそのものの社会的地位を押し上げることにもつながるわけでして、その後の映画の発展にとって、とても大事なことでありました。

グリフィスの映画が「芸術としての鑑賞に堪えうる」、と見なされたのもいくつか理由がありまして、主なところでは;
・有名な小説を元にしている
・テーマが立派・まじめ(南北戦争や、歴史ロマンなど)
・映画の尺が長い(二時間を軽く越えるものも多く、すぐ終わってしまうグリフィス以前の映画よりも、演劇に近いものととらえられた)
・単純に映画のできがよかった
などなどですねー。



とういわけで、やや駆け足で、グリフィスについて残りの部分を書いてきました。よく言われるようにグリフィスってのは実に19世紀的人間でありまして、人種差別思想を持っていたり(代表作「国家の創生」に至ってはKKKを賛美してたり)家父長制を信じていたりで、少なくとも現在の視点から見ると、か~なり問題も多い人物です。ただ、グリフィスが映画というメディアの発展に計り知れない功績を残し、「グリフィス以前・以後」なんて言い方ができるくらい、映画というメディアを変えたことは疑いのない事実なわけでして、そこはやはりちゃんと評価しなければいけないし、避けては通れない部分なんですよね。

今回は写真もなかったので、苦し紛れに文字を大きくしたりしました(笑)。読みづらかったですかね?なんか少しずつでも、毎日コツコツ更新するのも悪くないな~なんて、ちょっと思っています。

では次回は「カリガリ博士」と表現主義、そしてこれまた映画学ではとても大事な考え方「mise-en-scene」というものについてです。

ではでは。
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テーマ:研究 - ジャンル:学問・文化・芸術

コメント
この記事へのコメント
あ、画像がない!
実は毎回画像を楽しみにしてます。かなり。
2005/11/04(金) 00:34:21 | URL | pinoura #-[ 編集]
グリフィスお疲れ様でした…。退屈映画だと思っていましたが、映画文法を見る上で大切な作品だとわかりました。2時間半かけて。時間はカリガリですね。楽しみです!
2005/11/04(金) 08:36:09 | URL | ヒカリ #-[ 編集]
お疲れ様です。現代映画という形式に限りなく近づけたグリフィスの功績というか所業はやはり無視はできないものですね。現代の映画製作者(監督)たちが色々と形式(フォーム)をいじることで作家性をだせるのも初期のこうした試行錯誤があったからだということは見る側もぜひ知っておきたいところです。

同じブログ同士としては中々言えませんが、やはりいつもの画像がないとちと寂しかったりしますね(苦笑)
2005/11/05(土) 01:08:28 | URL | Depper #hJZqYFTY[ 編集]
グリフィス

>pinoura
どうもどうも。画像を楽しみにしててくれた人がいたとは知らなかったよ。マジで。どうも光栄です。んじゃぁこれからは画像は必ず入れる方向でゆきます。ピロピロいじる感じで。

>ヒカリ
まぁやっぱりグリフィスの映画は今見ると退k(以下略)だよなぁ。でもカリガリもアンダルシアの犬もポチョムキンも、グリフィス見たあとに考えると、あーこういうのを攻撃したかったのかな、って分かるよね。二時間半かかるけど

>Depperさん
今回はなんか「お疲れ様です」って言われるようなエントリーだったんだなぁと思いました(笑)。いやはやありがとうございます。でもDepperさんが書いていた通り、ここらはホントに「土台」になる部分なので大事ですよね。あ、あと上にも書きましたが画像楽しみにしててくれる人がいたとは知りませんでした。いつもかなり投げやりに入れてたので(笑)。
2005/11/05(土) 13:00:45 | URL | タカ@映画学メモ #6SWgxDAM[ 編集]
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2008/12/11(木) 12:40:14 | | #[ 編集]
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