映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
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映画学入門Week4 (その2)
2、「メゾンセン」(mise-en-scene)とは?

メゾンセンはmise-en-sceneと書きましてフランス語の言葉をイギリスでも使っているわけなんですが、Continuity editingと同じように、映画学をやっていく上でとても大事な考え方です。
mise-en-scene.jpg

これは簡単に言うと「スクリーン上で、目に見えるもの全て」を指す言葉であります。目に見えるものだけですよ。

ですから;
☆メゾンセンに含まれるもの
・役者
・背景
・ライティング
・セット
・小道具
・色使い
・視覚的特殊効果
・衣装
・などなど映画に「映っている」もの全て

☆メゾンセンに含まれないもの
・セリフ
・音楽
・映画が作られた背景・社会事情
・映画監督、またはその哲学
・その他、映画に映っていないもの

・・・ということになります。

ではなぜメゾンセンという考え方が映画学に必要なのか。これは実際のところ正確にはよく分かりません。色んな考え方があるんですよね。でも必要なものだ、ということには変わりないです。

とりあえず、僕なりにメゾンセンの必要性というものを二つほど書いて見ますと、

1、映画の視覚的要素(ビジュアル)を統一的に語ることができる。
ということが、まずあると思います。つまりですね、僕らはよく映画の「雰囲気」について語ったりしますよね。キレイだとか怖いとか緊張感があるとかetc.。「雰囲気」ってのはとても曖昧な言葉で、映画の雰囲気なんてのは映画の色んな要素から紡ぎだされるものじゃないですか。音楽とか、背景とか、役者のセリフとか色んなものが絡み合って映画の雰囲気をつくる。こんな時に「メゾンセン」という言葉を使うと、とりあえず目に見えるものだけ切り離して考えることができるわけです。

例えば「い」映画があったとしますよね。この怖い映画について、一体何が怖いのか、どうして怖いのか、ということを映画学の視点からちょっと考えてみたとします。こう、映画を見終わって映画館を出たときにでも。もちろん一番大事で分かりやすいのは「ストーリーが怖い」ということです。基本的にはストーリーが怖くない映画は怖くないですよね。でも、やっぱりお話が怖いだけじゃ映画として怖い映画にはならないわけです。そこには見せ方の問題があって、きちんと怖く見せないと、映画は怖くはならない。じゃぁ何がどうなってこの映画が怖いのか、ということを考える時にメゾンセン、という考え方が生きてきます。つまり、ライティング、演技、背景など、目に見えるものが、この場合「映画の怖さ」というものにどう影響しているのか語ることができる。もちろん「メゾンセン」なんて言葉がなくってもこれらの要素を語ることはできるわけです。でも、「この映画のメゾンセンを考えたときに」という風に映画の構成要素として「視覚的なもの」を簡単にわけて考えることができますよね。
suimasen.jpg

また、メゾンセン=「目に見えるもの全体」という概念を提示することによって、複合する視覚的要素をひとつにまとめることができます。例えば怖い映画があってライティングが演出としてすごく印象に残ったとします。でも「ライティングが怖い」と言っても、それはライティングだけで怖くなるわけではなくて、そこで照らされているものや空間の作り方、というのもちゃんと怖いものになっていなければ映画全体として怖い映画にはなりませんよね。だから「ライティングが怖い」とか「セットが怖い」とかを統一したかたちで「メゾンセンが怖い雰囲気をだしている」という風に言うことができます。

2、映画を映画として見ることができる。
というのが二つ目で、もしかしたらより重要な点ですね。これはどういうことかと言いいますと、映画を語る際には色々と映画に映っていないことが語られるわけです。歴史とか、社会背景とか、その監督の他の作品との比較とか、製作されたときの予算がどうだったとかこうだったとか、色々あるわけじゃないですか。映画学ってのは、ホントに映画に対して考えうる限りの色んな角度からアプローチをするので、映画に映ってないものが問題になること自体は、イイ事であります。ただ、映画に映ってないことばかりが、あたかもそれがその映画の一部、またはその映画を理解する際に欠かせないものであるかのように語られてしまうのは危険だと思うわけです。だって映画において、映っていないものはそもそも存在していないわけですから、結局どんなに正しいと思えても、社会情勢とか監督の意図とかは推測に過ぎないわけです。

それは、もちろんその映画と関係があるけれども、その映画の外にあるものなんですね。別な言い方をすると、映画を映画として扱っているわけではなくて、社会情勢の反映として見ていたり、ある映画監督の自己表現として見ていたりするわけです。何度も言うように、これ自体は悪いことじゃないわけですが。

でもここでメゾンセンを考えると、これは映画に映っているもの、ちゃんと目に見えるものを扱うわけですから、その映画の内側にあると言えます。そこに確かに映画の一部として存在しているものを扱うわけですから、社会情勢の反映されたものとしてでも、芸術家の内面の反映されたものとしてでもなく、映画を映画として扱うことができるんですね。これも、メゾンセンの大事なところだと思います。



というわけで、今回はメゾンセンでございました。なにせ理論の話なので、文字ばかりですいませんでしたー。次回は肝心の「カリガリ博士」についてです。

ではでは。

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テーマ:研究 - ジャンル:学問・文化・芸術

コメント
この記事へのコメント
時差ぼけです
映画をいわゆる映画(というフレームワーク)として分析するときに非常に基礎になる概念だと思います。これをうまく把握していないと、映像テキスト分析なんかをしてものを書くときにああーっという間に映画の書き物じゃなくなったりしてしまいますしね。いわゆるレビューなんかを読んでも、執筆者がここらへんをきちんと押さえているかいないかがわかってしまいますし、そういうレビューはあまりこちらに満足な情報を与えてくれません。。。いよいよ次は「カリガリ」ですね~、楽しみにしています♪
2005/11/10(木) 04:16:39 | URL | Depper #hJZqYFTY[ 編集]
mise-en-scene
Depperさんこちらにもコメントありがとうございます。日本に帰ると時差ぼけひどいですよね。僕はイギリスに行く時は時差ぼけほとんどないんですが、日本に帰ると時差ぼけで死んでます。

ちょっとここんとこ忙しくて更新できてなかったんですが、ぼちぼち更新していきます。

「カリガリ博士」について書く前に、メゾンセンについて補足しようと思っていたのですが、そこでこのDepperさんの書き込みを引用させていただきますね。「レビューが映画の書き物じゃなくなる」といったあたり、大事なことだと思います。
2005/11/12(土) 14:48:46 | URL | タカ@映画学メモ #6SWgxDAM[ 編集]
メゾンセン
映画理論がとてもわかりやすく記述されていて、助かります。
なぜなら私は今、フィンランドの美術学校に留学中で、今週からvideo artのコースが始まったからです。
授業は、フィンランド語で行われるため、フィンランド語があまり出来ない私は、映像を見ながら先生の言っていることを想像したり、後で英語で質問しなくてはなりません。
今回、このページに出会うことが出来、たいへん有り難く思っています。
ところで、自分なりにメゾンセンの必要性を考えてみました。
大きく分けて以下の2点です。
1、作品を視覚的効果から客観視するため(特に批評の際に必要)
2、国家権力や政治から、表現の自由を守るため

*言っていることは、タカさんの説明とほとんど同じかもしれません。
2008/06/25(水) 21:24:02 | URL | かいあぽい #-[ 編集]
SUPREMEポータル
SUPREMEの検索サイト。通販、代官山、BBS、新作、原宿などSUPREMEに関する各種情報をお届けしています。 http://lactate.stuartmembery.com/
2008/12/09(火) 17:20:03 | URL | #-[ 編集]
承認待ちコメント
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2010/04/09(金) 14:49:11 | | #[ 編集]
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