映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
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映画学入門 Week6(その1)
Week6

シュールリアリズムと映像
または、
映画という枠組みそのものに対する挑戦
または、
語るべきか、語らぬべきか


ややこしい題名ですみません。
映画学メモと申します。
mieppari.jpg

本日は僕の大好きな「アンダルシアの犬」(Un Chien Andalou)をお題に
グリフィス「東への道」
ヴィエネ「カリガリ博士」
エイゼンシュタイン「戦艦ポチョムキン」
と続いてきた20年代シリーズ(カリガリは20年代じゃないですが)の続きをお話ししたいと思います。前にも触れましたように、20年代というのは色んな映画文法が出揃った大事な時代でありました。次回扱うトーキーの登場で、20年代についてはひとまず終わりです。

chienandalou1.jpg
「アンダルシアの犬」(1929年)
ルイス・ブニュエル&サルバドール・ダリ


今回はあまり筋道立てずにつらつら書いていきたいと思います。行き当たりばったりな感じで。なにせお題はシュールリアリズムですから。
majide.jpg
(今回の写真集め&加工は同じく映画学を勉強しているHKRちゃんに手伝ってもらいました)

☆シュールリアリズム

このBlogを始めたばかりのころにいずれ取り上げるとか言ってたくせにまだ全然書いていないシュールリアリズムでありますが、「アンダルシアの犬」はこのシュールリアリズムというムーブメントの中から生まれてきた映画です。監督はルイス・ブニュエルサルバドール・ダリの二人。どちらかというと、ブニュエルの方が果たした役割は大きかったようです。

かなり荒っぽくまとめますと、シュールリアリズムっていうのはダダイズムと並んで美術史上の他のムーブメント(印象派とか表現主義とか)と大きく異なりまして、作品の性格についてのムーブメントではなく人間の生き方・考え方についてのムーブメントであったと言えます。だからあんまり年代とかは重要じゃなくなってくるわけですが、とりあえず一般的には1924年、ブレトンが「第一シュールリアリズム宣言」を発表したのをもってシュールリアリズムの始まりとするようです。「アンダルシアの犬」が作られたのはその五年後にあたるわけですね。

とりあえずシュールリアリズムの考え方の中でこの映画とダイレクトに関わってくるところというと二つ出てきます;
-Psychic Automatism
-夢のイメージ

ってとこですね。
andalou3.jpg

まず最初のPsychic Automatismという横文字のやつですが、これはテキトーな日本語訳が思いつきませんでした・・。なんというかですね、シュールリアリストのみなさんは、自分の頭が勝手に考えることってのをすごく重視するんです。何も考えないでつらつらと言葉を羅列したものとか、何も考えないでペンを動かして書いた絵とかを大事にするんですよ。特に活動の初期なんかがそうですね。
こんな絵とか↓
masson.jpg
アンドレ・マッソン

これは論理とか理性とかを離れて、自分がホントに望んでいることやホントに考えていることに近づこう、っていう試みなわけですが、この自分が勝手に考える想像や連想を重視するやりかたをPsychic Automatismと呼びます。
Psychic=精神の、精神的な
Automatism=オートマティックという言葉もあるように、自動的に、勝手に、自ら、みたいな
という感じですね。

andalou6.jpg
シュールリアリズムはナンセンスを応援しています。

もう一つの夢のイメージというのは、これもPsychic Automatismに関わってくるのですが、自分が夢で見たもの(とその視覚的なイメージ)を大事にする、ということですね。フロイドさんも言っていたように夢は「無意識へと繋がる道」なわけですから、意識がしっかりしている時には認識することができないホントの自分(自己の不安、欲望、執着など)を教えてくれるものとして、シュールリアリズムの人たちは夢に重きを置いたんですね。また夢を見ている時ってのは人間論理立てて考えたりしないでランダムに夢が進むわけですから、夢ってのはPsychic Automatismの一つのかたちでもあるわけです。

そんで「アンダルシアの犬」ですが、ブニュエル自身の回想によると、この映画はブニュエルとダリがお互い見た夢を語り合い、それらを混ぜ合わせることによって生まれたらしいんですね。つまりPsychic Automatismと夢のイメージをベースに生まれたわけですから、まさにシュールリアリズムと映画の関わりにおいて生まれたと言えますよねー。

勿論これは映画制作のスタイルとしてもとても特殊です。ハリウッドにおいてどんどんスタジオ製作システムが確立されつつあり、映画一作にかかる人件費や時間も大きくなっているまさにその時に、ブニュエルとダリという二人の個人の、しかも「夢」という極めてプライベートなエリアを映像化してしまった、というのは画期的ですよね。前回、前々回と取り上げた「カリガリ博士」や「戦艦ポチョムキン」も映画文法としては新しいですが、いずれも製作規模は大きなものでした。「アンダルシアの犬」はブニュエルのお母さんが制作費を出し、制作期間自体も一週間か二週間くらいで仕上げてしまったっつうんだから、超アマチュア映画ですよね。



というわけで、次回も「アンダルシアの犬」についてPsychic Automatism風味に書いていきたいと思います。

ではでは。
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コメント
この記事へのコメント
ついに!
わーいわーい!アンダルシアの犬ついに来ましたね。シュールレアリズムのエキスパートがどうこの映画をさばいてくれるか楽しみです。(*^-’)ニヤリ
2005/11/22(火) 22:50:52 | URL | ヒカリ #-[ 編集]
相互支援サイト、よい響きです。ゴージャスなリンクをありがとうございます。「アンダルシアの犬」は強烈なインパクトがあってよいですねー。ブニュエルもダリも作り手として彼らの意思を映像化して映画の表現域を模索したのでしょうけど、それを純粋に見手としてみても見手としての視野を非常に広げてくれます。こういう作品にもう少し大衆が日常的に接していたならば、『Takeshis'』のような映画ももっと受け入れられていたに違いありません。そういうセンスで言うならば、『Takeshis'』はさしずめDadaistic Surrealismなのかなぁなんて思いましたね。するってぇと、北野武は現代日本映画界のDadaistなのかもしれません。なんて思わずPsychic Automatismかなこれは(苦笑)

あと、興味深い本がありましたのでご報告。
http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_search.php?pcd=200507000113

ではでは、次回も楽しみにしております。
2005/11/23(水) 08:56:09 | URL | Depper #hJZqYFTY[ 編集]
語ることは尽きないけども
>ヒカリ
シュールリアリズムのエキスパートとか言わないでくれー、今日もAdes女史にヤられっぱなしだったし。まぁ「アンダルシアの犬」についてはあんまり深追いし過ぎないようにしながら書いていくよ。ってかPsychic Automatismだけでもあんなことやこんなことも書きたかったのにー。

>Depperさん
映画学共同戦線ということでいきましょう。

おっしゃる通り「アンダルシアの犬」は見る側の視野を広げてくれる面も強く持っていると思います。僕にとっては、「映画」っていうのは「映像」の様々な存在の仕方のうちの一つでしかない、ということに気づかせてくれた映画でありました。Depperさんのコメントを見ていると「Takeshis'」も見たくなるなぁ。北野映画は詳しくないのですが、北野武はDadaistな側面を確かに持っている気がしますね。

本の紹介もありがとうございました。確かに面白そうですねー。アニメについては、楽観的に盛り上がっているのは偉い人だけで、現場には将来に対してかなりの危機感・悲観論が強いようなので、そこらへん詳しく知りたいところでありました。読んでみようかな。
2005/11/23(水) 14:48:09 | URL | タカ(映画学メモの中に入ってる人) #6SWgxDAM[ 編集]
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2008/12/03(水) 15:42:16 | URL | #-[ 編集]
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