映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
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映画学入門 Week7(その3)
トーキーとはじぇんじぇん関係ないんですが、クイント・ブッフホルツ(Quint Buchholz)という画家さんが大好きです。
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プロフィールのところの画像も、この人の絵を使っていたのでした。

さて。

トーキー到来(またはシンク・サウンド到来)のまとめであります。

4、Diegetic SoundとNon-Diegetic Sound

トーキーのまとめと言っておきながら、ここでちょっと寄り道致します。映画学において「音」について語る際の、基本的な用語と分類をちょっと見ておこうかなーと思いまして。それがDiegetic Sound(ダイジェティック・サウンド)とNon-Diegetic Sound(ノン・ダイジェティック・サウンド)ってやつです。


これは簡単に言うと、映画の「音」が物語の中の世界から来ているのか、それともその外(つまり物語の外だけど映画の中)から来ているのか、っていう分け方です。Diegetic Soundっていうのが物語の中から聞こえている音、つまり;
・キャラクター同士の会話
・物語の中に存在するものがたてた音
・物語の中でかけられている音楽(主人公がギターを弾いていたり)

といったところがDiegetic Soundにあたります。これに対してNon-Diegetic Soundは物語の外からくっつけられてる音ですから;
・物語の中で誰かがかけているわけではない音楽(感動的なシーンのバックで流れるオーケストラとか)
・ナレーション

といったあたりがNon-Diegetic Soundですね。

DiegeticとNon-diegeticの区別は、映画の音を多層的に分析したり、音の働きを詳細に分析する時になかなか役に立つ概念です。

5、「ジャズ・シンガー」

さてサイレントからトーキーへの話に戻りまして、トーキー最初の長編映画であり、空前の大ヒットとなった記念碑的作品「ジャズ・シンガー」についてでございます。
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「ジャズ・シンガー」(1927年)

二つ前のエントリーでは;
5、「ジャズ・シンガー」と「雨に唄えば」
と書いてまして両方やるつもりだったんですが、「雨に唄えば」の方は前回、前々回と触れてきたので「ジャズ・シンガー」の方だけということにしますね。でもしつこいようですが「雨に唄えば」、未見の方はぜひご覧になってください。この時期のことがよく分かりますし、フツーに映画としてもすごく面白いですよ。
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「雨に唄えば」(1952年)

さて、「ジャズ・シンガー」の方ですが、この映画はワーナー・ブラザーズが1926年のトーキー短編映画のヒットを受けて製作した劇場作品であります。主演は当時の大スターであったステージ・エンターテイナーのアル・ジョルソンということで、トーキーなんだから彼の歌をフィーチャーしようってわけですね。まだ前編トーキーというわけではなくて、見せ場の歌とか踊りだけがトーキー、というシステムでした。前回も書きましたが、当初の予定ではトーキーになるのは音楽とジョルソンの歌だけってことだったそうです。製作サイドはトーキーでの「セリフ」の可能性にまだ気がついていなかったんですね。ところがもともとアドリブが主体のステージ・パフォーマーだったジョルソンがトーキーのパートで勝手に喋りだして、それが史上初めての映画の中で語られた言葉ということになるのでした。

そしてこの「ジャズ・シンガー」はトーキーという要素だけが面白いというわけでもなく、一本の映画としてかなり興味深いものになっています。なんでかっつうと、様々な次元での対立要素が凝縮されてるんですよね。映画をまだ未見の方もいらっしゃるでしょうから大雑把な感じで追いかけていきますと;

☆父と息子の対立
ユダヤ教の神官であり、息子にも自分と同じユダヤ教の歌を歌う役目を継がせたいと思っている父親と、ジャズの歌手になりたいと思う息子との対立が、まず物語の中心を形作ります。これは普遍的な世代間の衝突であり、またフロイト系の読みをすると(しなくてもいいんですが)、オイディプス王の物語をなぞるように、つまり息子が母を手に入れ父を殺す物語として映画は展開していく、と読むことができます。

☆社会的な対立
またこの「ジャズ・シンガー」における父と息子の対立は、アメリカの移民社会における世代間の対立の一部でもあります。つまり、アメリカでも自分たちの文化を頑なに守ろうとする移民の第一世代と、アメリカで生まれ、アメリカの文化に何の抵抗も感じない第二世代との対立ということですね。

☆映画の製作サイドにおける対立
「ジャズ・シンガー」はトーキーの使用ということでは極めて実験的な作品でしたから、製作サイドも一枚岩ではなかったようで、トーキーの導入に否定的な陣営も存在していました。映画自体がサイレント映画とトーキーの混合であることからも分かるように、「ジャズ・シンガー」自体が、映画産業内でのトーキー推進派と否定派との対立の結果だということもできます。先に述べたアル・ジョルソンがアドリブで勝手に話しちゃった、ってのもこの文脈の中で考えることができますよね。トーキーというものを歌や音楽、つまり装飾や見世物的なものに留めてしまおうという動きに対してジョルソンが反抗し、自分のアドリブでトーキーを正に「トーキー(しゃべる映画)」にしてしまう、という読み方もできます。

そんでこれらの対立が全部凝縮されたとても興味深く、また有名なシーンというのが、映画の後半に出てきます。

シーンはサイレントで始まります。ジョルソン演じる主人公の少年が、お父さんと喧嘩して家出した後立派なジャズ・シンガーになって帰ってくるんですよ。そんでお母さんにピアノを弾きながら自分の歌を歌って聞かせるんですね。ここはトーキーになってジョルソンの歌とピアノが入り、またその合間にジョルソンがフツーにお母さんに話し出します。ここはジョルソンが勝手にアドリブでやってるわけなので、お母さんはすごいやりにくそうで可哀想です。んでまたジョルソンが歌っていると、そこにお父さんが帰ってくるんですよ。ユダヤ教の礼拝かなんかで歌い終わったあとのお父さんです。お父さんは自分の息子を見てびっくりして、そしてジャズの歌なんか歌ってるもんだから怒っちゃって、でかい声で「STOP!!」って叫ぶんですよ。そうすると、それまでトーキーだった映画が突然サイレントに戻るんです。会話も音声じゃなくて、インタータイトルに戻っちゃうんですね。そんでそれからはお父さんが息子を責めるわけですが・・・

ここまでの部分に、この映画のエッセンスがかなり凝縮されていると考えることができます。まず父親と息子の対立があります。父親はユダヤ教の唄を歌う人で、息子はジャズ・シンガーである、というのはこのシーンでそのまま現されることになります。またオイディプス王の物語を使って読めば、ここは息子が母親を手に入れたところだと読めますから、それにたいする父親の反撃だ、とも言えますよね。また社会的な対立という側面では、ここで父親の世界であるユダヤ教と、息子の世界であるアメリカの文化、ジャズが一つの部屋で向き合うことになります。そして製作サイドの対立ということで見ると、新しい世代(つまり息子)が持ってきたトーキーというテクノロジーを古い世代(父親)が許さず、STOP!の一声でサイレント映画に戻してしまうわけです。

こんな感じで、「ジャズ・シンガー」はトーキー第一作の記念すべき作品であり、また映画としてとても複雑で興味深い作品です。先生は「この映画は20年代のアメリカそのものだ」なんて言っていましたよ。



さてさて、そんなわけでトーキーの登場を追いかけてまいりました。
けっこー長くなっちゃいましたな。お付き合いいただきありがとうございました。

だいぶ現実のコースの進み具合からは遅れておりますが、まぁ気にしないことにして(笑)、次回は「市民ケーン」いってみようと思います。パリから帰ってきた後になりそうですね。

ではでは、また。

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テーマ:映画 - ジャンル:学問・文化・芸術

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多価不飽和脂肪酸でダイエットを考える
多価不飽和脂肪酸量(Polyunsaturatedfattyacids)を飽和脂肪酸量(Saturatedfattyacids)で割った比率のことです http://faceman.victoriaclippermagazine.com/
2008/11/26(水) 17:39:45 | URL | #-[ 編集]
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