映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
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映画学入門 Week10(その1)
Classic Hollywoodへのアンチテーゼ

そんなわけで、やっとClassic Hollywoodも一段落ついたので、いよいよ秋学期分最後の週:「Classic Hollywoodへのアンチテーゼ」に突入でございます。
fuyuyasumi.jpg

前回までにかなり大雑把な感じでClassic Hollywoodがどういうものなのかってのを見てきました。詳しくやる時間がちょっとなかったんですが、Classic Hollywoodってのはただの技術じゃなくてひとつの考え方でもある、ってのも触れましたね。今回は、じゃぁClassic Hollywood以外の映画のつくり方、そして映画というものの考え方としてどんなものがあるのか、ってお話です。

お題になる映画はゴダール監督の「勝手にしやがれ」。
1960breahtless02.gif
「勝手にしやがれ」(1959)
ジャン・リュック・ゴダール監督

上の写真の左側に写っている短髪の女の子、ジーン・セバーグがとてもかわいい「勝手にしやがれ」でございます。もう一枚写真のせちゃえ。
godard_b_bath.jpg
つくられたのは「北北西に進路をとれ」と同じ1959年ですね。ゴダールの映画の中ではかなり「見やすい(フツーに楽しめる)」部類に入る映画ですし、いわゆるアート系映画の金字塔でもありますので、未見の方はぜひ見てみてくださいませ。「同じ年につくられたんだなー」と思いながら「北北西に進路をとれ」と一緒に見てみるとまた面白いと思いますよ。

というわけで、今回は「ハリウッドの外(主にヨーロッパ)の映画たち」(ここでは便宜的に「アートシネマ」と呼びますね)がClassic Hollywoodと比べてどういうスタンスを取るのか、というのをみていくことになります。これはもう「Classic Hollywoodの外」ということですんごい色んな種類の映画が含まれますから、「勝手にしやがれ」はそのうちのあるひとつの例、という位置づけであります。


・映画は現実ではなーい

今でも「実話に基づいた」なんてキャッチコピーをよく見かけますが、Classic Hollywoodは基本的に映画の「現実感」というのをものすごく大切にします。映画は(少なくともその映画を見ている間は)現実であり、現実世界の一部である、という印象を与えようとするわけですね。そうすると、ここが大事なところなんですが、映画の題材・物語として扱われてる考え方も現実味を帯びてくるじゃないですか。例えばAという考え方の正義の味方がでてきてBという考え方の悪人をやっつける、っていう映画を見ると、みんな「あーAはなんて素晴らしくてBはなんてヒドイものなんだ!」って、まぁこれは極端な例ですが思うわけですよ、やっぱし。これが映画の怖いところでもあって、ソビエトとかナチス・ドイツとかはこういう「思想宣伝(プロパガンダ)」としての映画の力に着目して、かなり強烈に利用してたんですよね。勿論ハリウッドはソビエトとかナチス・ドイツとは違うわけですが、それでもこういった「映画の力」というのは知っていて、意識的・無意識的に自分の考え方、っていうのを映画の現実感を利用して発信してるところがある、と言えます。つまり、これまた思いっきり極端な話ですが、40年代50年代の観客の気になってClassic Hollywoodなんか見てるとアメリカがホントにスゲーいいとこみたいに思えてくるわけですよ。・・・というわけで、しつこいようですが、思想的に中立な映画なんてのは存在しない、っていうのが映画学の基本スタンスなわけです。まぁ映画ですからそんなに四六時中肩肘張って考える必要もないんですが、一応頭の片隅においておくといいかも知れません。

さて、

そんなClassic Hollywoodに対してアートシネマは映画っていうのが作られ、操作されたものであって、現実の一部なんかじゃねーよ、ということを色んな仕方で表現します。例えば映画の現実感、っていうものを重視したい場合、当たり前ですが、それがカメラで撮られたものである、っていうのは観客に忘れさせなきゃいけないわけじゃないですか。だからカメラの存在を意識させるような演出はタブーであります。でも「勝手にしやがれ」では最初の方で、思いっきり主人公がカメラに向かって話しかける、なんてシーンがあります。これはそこらへん、つまり「これは撮られて作られたもんだよー」みたいなメッセージじゃないかな、と考えることができるんですね。



というわけでWeek10の第一回でございました。ハリウッドへのアンチテーゼっていうのはなかなか注意深くやらなきゃいけないテーマでして、「勝手にしやがれ」にしても他のアートシネマの映画にしても、単にハリウッドへのアンチテーゼっていう見方だけで全部語っちゃってもそれらの映画のよさを消しちゃうことになるんで難しいところです。まぁ今回はこういう切り口で見ますよ、という程度に考えていてくださいませ。

ではでは、また。
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コメント
この記事へのコメント
うわうー!
私が今正にレポートを書いているリアリズムにも触れていますね!
最近やっと、first cinema, second cinema, third cinemaの観念が理解できたところで、ブレヒトの主張も、「勝手にしやがれ」に繋がってるんだ、と再発見。
勉強になります...
2006/01/12(木) 16:45:38 | URL | 赤パン #-[ 編集]
もーすごく大事!
もうこの辺はワクワクしますね(笑)

この辺のことをしっかり抑えると、逆にハリウッド映画についてよく見えるようになったりしますよね。いかに相互依存してるかとか。

日本の場合、いわゆるハリウッド追従型業界になってしまっていて、そのアンチテーゼになる映画が無視されすぎてしまっているなぁという気もしますが、どうでしょう。どちらかというと、サブカル的な扱われ方しかしてない感じもあり…。ある意味ユニークではありますが(苦笑)
2006/01/13(金) 10:41:43 | URL | Depper #hJZqYFTY[ 編集]
大事ですねー
>赤パンさん

どうもー。first cinemaもsecondもthirdも結局のところはリアリズムの問題に行き着くって感じはしますよね。ブレヒトは偉大であります。

「アルジェの戦い」俺もこないだクラスで見たなぁ。あれはItalian Neorealismを意識的に使って撮っているし、リアリズム、っていうお題でエッセイ書くには面白い映画だと思います。バザンとエイゼンシュタインのリアリズムは対立するし、難しそうだなぁ。

>Depperさん
ここはまさにハリウッドの鏡というか裏返しですよね。今回のエントリーなんか、「勝手にしやがれ」について書くことでハリウッドについてもまた書きやすくなりました。

日本はよくも悪くもサブカル的ですよね。Cultural Studiesみたいに戦闘的な学派も日本だと「サブカル」ですもんね。よく言うと変に力が入ってない、悪く言うと軽すぎ、みたいな印象があります。世界中の映画がすごくたくさん入ってきてるのに映画学がないのもそこらへんに原因のひとつがある気が・・・

最近の邦画のことを考えてみると、やっぱり「アンチテーゼ」っていう力とか勢いはないけど、その分カジュアルに映画としての面白さをよく残しながらいわゆるメインストリームのハリウッドとは違う要素を育てていけているような気もします。まぁ現在はハリウッド自体も複雑ですもんね。
2006/01/13(金) 16:21:35 | URL | タカ@映画学メモの中に入ってる人 #6SWgxDAM[ 編集]
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