映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
201710<<123456789101112131415161718192021222324252627282930>>201712
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
映画学入門 Week11(その3)
また自分とこのアクセス解析ネタで申し訳ないのですが、アクセス解析とかすると、どんな言葉で検索かけて映画学メモに辿り着いたのか、なんてことが分かるワケですよ。

それを先日なんとなく見ていたら、「日本で製作 本格トーキー映画」という検索ワードで映画学メモにいらっしゃった方がいたようでした。

「本格トーキー映画」という言葉の響きにかなり惹かれたのは言うまでもありません。んで最初はいまどきトーキーじゃない映画なんてねぇよなぁ、っていうか「本格」て!とか思ったのですが、すぐに映画史の話だと気づき、俺もGoogleで調べてみたのでした。日本で製作された本格トーキー映画。したらすぐに見つかりましたよ。

その名も「マダムと女房」
sb00333.jpg
これが日本初の本格トーキー映画とのことです。マダムと女房が、日本のトーキー映画の夜明けを告げたわけです。キタコレ。製作は1931年とのことで、映画学メモでも取り上げた世界初の本格トーキー映画「ジャズ・シンガー」が1927年ですから、これを早いと見るか遅いと見るか・・。でも同じく映画学メモでも取り上げたシュールリアリズム映画;「アンダルシアの犬」(1929)あったじゃないですか。あの映画をつくったブニュエルとダリのコンビが作った次の作品「黄金時代」は1930年の作品なんですが、これはかなり誇らしげに「この映画はトーキーです」みたいなことが最初に出てきたので1930年の時点でまだヨーロッパでも珍しかったとすると、1931年に「マダムと女房」はまぁ早いと見るべきなんですかね。
LuisBunuelLAgedOr.jpg
「黄金時代」(1930)
ルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリ


まぁわき道にそれるのはこのくらいにして、Cinematographyの話しましょう。


前回はCinematographyっていうのが大体どんなものを含むのか、っていう話をしましたねー。今回はこのCinematographyがどういう働きをするのかってのを「黒水仙」をケーススタディとして見ていこうと思うわけです。
BlackNarcissus4.jpg
「黒水仙」1947年

ただ、「黒水仙」って写真がほとんどないんですよね・・・。なのでどうにも話しづらいぃぃ。まぁしょーがないのでなんとか文字でがんばろうと思います。

ちなみに「黒水仙」のあらすじについてちょっと書きますと、
ヒマラヤの奥地に布教のために招かれたイギリス・カソリックの修道女(シスター)たちが、現地の文化や別のイギリス人・デイヴィッドとの出会いなどを通してだんだん精神のバランスをくずしていく・・・
みたいな感じのお話です。上の方で使ってる写真なんかは、修道女の一人だったルスが、それまで修道服着てたのに、いきなりこんな服に着替えちゃってデイヴィッドに会いに行こうとする、というかなり劇的なシーンです。

この映画は、今まで映画学メモで扱ってきた部分ですと、表現主義(リンク)mise-en-scene(リンク)といったあたりに深く関係があります。つまり、精神的・内的なものが外側の目に見える要素として表現されているわけで、この映画だと特に「色」が大事な要素になっています。

修道女たちは白い修道服を着ているわけですが、これは純潔や無垢の象徴でもあります。そんでこの白はヒマラヤの原住民たちが着ている服の色や、自然そのもののカラフルな色彩と対比されて、「欲望の抑圧」の象徴としても描かれています。

特にこの映画で面白いなーと思うのは、修道女たちを撮るときに、意図的にフェルメールの絵を真似たライティングを使ってるんですよ。もちろん先生が教えてくれるまで気づきませんでしたけどねー。そのシーンの写真がないのがホント残念なんですが、フェルメールの絵というとこんな感じです
vermeer.weighing-pearls.jpg
白い壁があって、左側の窓から光が差し込んでいる、というライティングです。これとまったく同じライティングを、シスターの長であるおばさんが窓際で手紙を読んでいる時に使っていて、そこだけ見るとホントにフェルメールみたいに見えます。そうすることによって、フェルメールの絵と同じような静謐な感じを表現しているわけで、ここらへんはまさにCinematographyの領域であり、ただ撮っただけでは決して表現できなかった部分ですから、Cinematographer(この映画ではジャック・カーディフ)の創造性と呼べると思います。その場面はまだ最初の方なんですが、そこで静謐で穏やかな感じを強調することによって、後の方でシスターたちを揺さぶる「欲望」の存在を際立たせることに成功しています。

その「欲望」という要素は、この映画だと「赤」で表現されています。上の写真でも、左側のルスが赤いもの持ってますよね。彼女の唇の赤なんかもただ撮ってるんじゃなくて、すごく強調されていて、映画の序盤で画面を支配していた白との対比を強めています。

ここらへん見てみても、この映画がそのCinematographyによって活かされていて、また表現主義の要素を強くもっているってのが分かるんじゃないかなーと思います。

というわけで、次回はCinematographyの後半、「レオン」を使ってのワイドスクリーン構成についてです。

ではでは、また。



スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
実は楽しく読んでます。
自分で調べればいいんだけどさー、
トーキー映画ってどういうの?
よく分からないので教えてちょ。
2006/02/14(火) 02:25:01 | URL | しげよ #-[ 編集]
そうなんだ~
フェルメールを意識したシーンがあったのには気付かなかったなぁ!テレビでたまたまやっていたのをぼーっと観ていたから気付くわけがないのだけど。もう一度、観てみます。

色の対比は明らかだったね。わざとらしい感じがしたのだけど、クライマックスの赤はこわかったなぁ。あの修道女とヘイデン・クリステンセン演じるアナキン・スカイウォーカーがかぶったのは私だけかしら・・・。あの不気味さ。
2006/02/14(火) 13:28:54 | URL | 美代子.K #-[ 編集]
>しげよ さん
ほわぁぁぁ見てくれてたんですかぁ!!
突然書き込んでくれてたのでビックリしましたぁよー。
どうもありがとうございますー。

トーキーっていうのは基本的には音が出る映画のことです。ただ音楽自体は伴奏なんかで前からついていたので、何が違うのかというと映像として映っている場面の音が聞こえる、ということになりまして、つまり結局のところ「声が聞こえる、しゃべる」ということになるわけです。そんでトーキー(Talkie)って呼ぶんですよー。

映画学メモで扱った部分ですと、
http://filmstudies.blog21.fc2.com/blog-entry-45.html
とか
http://filmstudies.blog21.fc2.com/blog-entry-46.html
あたりになります。暇な時にでも読んでみてくださいませ。

また遊びにきてくださいねー。
2006/02/14(火) 22:11:24 | URL | タカ@映画学メモ #6SWgxDAM[ 編集]
>美代子ちゃん
美代子ちゃんこんにちは。

フェルメールは、俺も最初見たときは全然気づかなくて、レクチャーでジャック・カーディフについてのDocumentaryビデオクリップを見た時にそう言ってて、ほえーって思ったんだよね。

新しいスターウォーズは見てないので分からないのだけど、クライマックスが不気味なのは同感。四年前にLT121とってた頃は、実際のところCinematographyっていう概念自体よく分かってなかったという噂なので、今回自分でも確認してみて色々分かったし、「黒水仙」すごいなーと思ったよ。

また「美代子」に会えると嬉しいな(笑)
2006/02/14(火) 22:16:22 | URL | タカ@映画学メモ #6SWgxDAM[ 編集]
コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright © 2004-2005 Powered By FC2ブログ allrights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。