映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
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映画学入門 Week12(その1)
Week12

Cinematography後半:画面構成/フレーミング


どうもどうも。
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今週はWeek12なんですが、テーマはWeek11とつながっていてCinematographyでございます。前回は主に「光・色」にフォーカスを当ててみたんですが、今回は画面構成、つまりフレーミング(Framing)についてのお話にしようかなーと思います。ちなみにうちの大学の本家「映画学入門(LT121:Introduction to Filmstudies)」の方だとこの週は映画「レオン」を使っての「ワイドスクリーン構成」っていうことになってるんですが、「レオン」の動画とか使えないままにワイドスクリーンに話を限定してしまうとあんまり話すこともないし、かといって「レオン」についての話はまぁ映画学メモじゃなくてもいいだろうということで、画面構成とフレーミング全般についてあっさりやってみようと思います。

今回も「Film Art: An Introduction」のCinematographyについての章をベースにしてお送りします。
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1、Framing(フレーミング)の力

Frameというのは「枠」のことですから、Framingというと「枠をとること」みたいな意味でして、つまりどこから撮るか、何を含むか含まないか、というようなことを決めて画面構成をつくることを指します。

でもこれって映画について話をするときに、なかなか気づきづらく、考えづらい要素ですよね。スクリーン上で僕らが見る映像は、当たり前ですけどもう既にFramingされて僕らが見ているわけですから、「もしこの場面が別な視点から撮られていたらどうだったかなぁ」みたいなことってなかなか考える機会が少ないんじゃないかと思います。

特に今まで映画学メモでもContinuity Editingに関連して何回か触れてきましたように、基本的にハリウッド(系)の映画は、観客に「今自分は映画を見ている」という感覚を失わせることをひとつの基本的なテクニックとして持っていますから、僕らが見ているものがFramingされてるっていうことも、映画の側からすれば考えてほしくないわけです。

そこらへん例えばゴダールの映画なんかだとまた変わってきますし、次回のお題になるR.W.ファスビンダーの映画でもFramingという概念は強調されています。つまり、こないだやったClassic HollywoodとArt Cinemaっていう二つの概念にまた関係する部分があるってわけです。

まぁそんなわけで、なかなか考えることの少ないFramingですが、同じ現象が、どうFramingされるかでどんくらい違う印象・効果をもたらすかというと、それはそれは違うんです。

ここんとこ「Film Art: An Introduction」のBordwellとThompsonはリュミエールの映画を例にとって説明しています。リュミエールというと、映画学メモの方で扱った(リンク)のももうずいぶん前になりますが、映画の発明者として記録されてるフランス人の兄弟であります。
lumiere_amended.jpg
つまりリュミエールの映画たち、というのは世界で最初の映像たちってことなんですが、その最初の映像から、もうFramingっていうのが重要な要素として効果を発揮してるわけです。・・・とBordwellセンセが言ってました。

ちなみにリュミエール兄弟のカメラというと、こんな感じ↓
cinematographe2.jpg
で案外小さいわけです。だからあちこち持ち運んだり、好きなところに置いたりしてFramingを決められたわけですね。このリュミエール兄弟のカメラに比べると、同じく初期映画に貢献したW.K.L.ディクソンのカメラなんか見ると、もうそりゃー大きくて机みたいなんで、これだと自由なFramingってのはちょっと無理だったわけです。

さて、リュミエール兄弟の有名な初期映画に「Ciotat駅への汽車の到着(L'Arrivée d'un train en gare de La Ciotat)」(1985)ってのがあります。これはその名の通り、機関車が駅に入ってくるところを撮っただけなんですが、初期映画の金字塔であります。
train.jpg
「Ciotat駅への汽車の到着」(1985)
二分あるかないかくらいの短い映像で、写真に映っているその視点のまま、汽車が入ってきて、駅で待っていた人たちが汽車に乗り込む、というホント単純なものです。

でも、この映像、実はすでにすごく映画的である、とBordwellは言います。この時点ではまだ映画はメディアとして生まれたばかりで、演劇とかの方が主流だったわけじゃないですか。もしもこの場面をリュミエールが「演劇的」に撮っていたらどうなったか。そうしたら、おそらくカメラは線路と直角になるように配置され、電車は右から入ってきて左に抜ける、というFramingになったハズだ、と言うんですね。プラットフォームがステージのようになってそれはそれで一つのFramingなわけです。でもリュミエールはそうしなかった。写真のような位置にカメラをおいてFramingすることで、機関車がカメラに迫ってくるようなダイナミックな効果、また機関車に乗ろうとする人たちも、カメラに向かってくる人がいたり、そのまま乗り込む人たちがいたりで、駅のあわただしい感じがすごく出ています。もし演劇的に撮っていたら、人々が機関車に乗るところでも、僕らは背中しか見えませんし動作も均一に見えるでしょうから、実際の映画が持っていたような躍動感はでなかったのではないでしょうか、というお話です。

ここらへん、「Framingの力」というのがよく現れているところではないでしょうか。Ciotat駅の映像は動画がなかったもんで、ちょっと分かりづらかったらすいません・・・。



というわけで、今回はCinematographyの中でもFramingという部分に焦点を当ててみたのでした。長くなっちゃいましたが・・・。

次回はアスペクト比とワイドスクリーン映画についてといったあたり、やりたいと思いまーす。

ではでは、また。
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