映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
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映画はどこから来たんだろーか その弐
というわけで、前回のつづきです。

前回は、史上初の映像メディアとして19世紀末のフランスに映画が誕生したこと、それと、その誕生当時の映画は当時の人々にとって、今の時代には想像もつかないような、圧倒的な現実感を持っていた、ということを書きました。映画を生み出した19世紀末のヨーロッパとは何だったのかをちょっと考えてみましょう、というところで終わりましたね。

そー言えば、今だと映画よりもテレビの方が身近じゃないすか。テレビは毎日見るもので、映画は時々見に行く、みたいな。だから僕なんかずーっとテレビが先に発明されて、映画はその後にできたんじゃねーの?なんて思ってましたねぇ。なんかこう、あれですよ、「20世紀初頭にウクライナのスヴェツニコフ・ヤンコフ博士(仮名)が、テレビの原理を応用して、大画面に映像を投影できることを発見した。映画の誕生である。」みたいな感じですよ。
yankov_hakase.jpg
この誤解は僕だけですか?そうですか。

はい余計な話でした。

今回はその19世紀末のヨーロッパについて、「テクノロジー」という観点から少し書きたいと思います。
映画、というのはひとつの技術、つまりテクノロジーですよね。19世紀末において、今まではできなかった「映像を投影・再生」する、ということがテクノロジーによって可能になったわけです。まず最初のポイントは、この映像というテクノロジーが、単に何かが便利になったとか簡単になったということではなくて、人間にとっての(感覚上での)世界のあり方を変えるものだった、ということだと思います。つまり、それまでになかった「映像」というものが、人間にとっての世界の大きさや時間の感覚を変えていくわけです。

例えば、ちょっと難しいですが、映像というものが全くない世界を考えてみましょう。写真はあるんです。でも動く映像がない。その世界で日本人として生きていて、例えばアメリカってどんな存在でしょう?写真では見たことあっても、ニュースや映画、ドラマなどでは見ることがないわけです。アメリカに行ったことがなければ、生きて動いているアメリカの都市、というものを見たことがない。アメリカだけじゃなくて、アフリカでもインドでも、日本の自分が行ったことない地方でも、隣町だってそうです。感覚の話に限れば、これって要するに遠いってことですよね。世界が広い。勿論世界の実際の大きさやアメリカまでの距離って変わらないですけども、感覚上はかなり変わってくるでしょう。

メールが普及する前と後なんかとも同じですよね。例えばイギリスにいる人間と連絡をとるとして、メールと手紙だと速さが全然違う。これって、やっぱり感覚上の問題に限って言えば、メールのおかげで世界が狭くなった、って言えるんじゃないかなと思います。まぁそんな世の中だから手紙が余計に嬉しいわけですが。

もちろん今の僕らから考えると、別にアメリカの映像見たからってアメリカに行った気分にはならんわけです。でもですよ、前回の話を思い出してみると、当時の観客は機関車がカメラに向かってくると逃げるわけじゃないですか。それだけ映像に現実感を感じるんだから、例えば外国の映像を見れば外国に行った気分になっても不思議じゃないですよね。ここらへん自分の浅学で断言できないところですが、おそらくそういう感覚があったと思います。だから、映画が誕生してからしばらくの間には、そういった異国情緒や異国趣味を扱った映像が沢山つくられました。でもこれって恐らく今でもかたちを変えて残ってて、「世界の車窓から」とか「ウルルン滞在記」なんかそうですよね。前回も出てきたリュミエール兄弟もこんなのを撮ってます。
407caravane.jpg
もろ異国チックなキャラバンですよ。これは僕は動いている映像として見たことはないのですが。当時のヨーロッパの人たちから見てイスラム圏なんてどれくらい感覚的に遠かったのか想像もつかないですが、多分これを見て、そういう外国に行った気分に浸ったりしたんでしょう。
それか、やっぱりこれ↓ですよ。
nigemadou_huransujin2.jpg
フランス人も楽じゃないな。

えー、とにかく何が言いたかったのかというと、映像の発明には、こういう感覚としての世界の広さを変えていくような力があったということです。そしてこれは「時間」という概念についてもそうですよね。世界の広さが変わっていくことについて説明したときと同じ要領で理解していただけると思いますが、映像の発明で、「過去」というものも(感覚的には)身近になるわけです。記録映像、なんてのが出てきますし、その現実感は写真とは比べ物にならないわけです。つまり、映像の発明によって空間と時間の両方において感覚的に世界が組替えられていったんですね。

そしてここがまた大事・・・というか実はこのエントリーの本題なんですが、この「感覚としての世界が組替えられていく」って、映画だけがもたらしたものではなくて、この時期の西洋世界に大きな流れとしてあったようです。様々なテクノロジーがこの時期にはっきりしたかたちをもって出てくるんですよね。例えば自動車。ダイムラーやベンツ、といった、今でも自動車会社として名前を聞くような人たちが現在の自動車の直接の祖先にあたるガソリン自動車を開発していたのが映画の発明と10年違わない1880年代後半です。機関車の鉄道網も、このころまでにはほぼ整備されていました。さらにベルさんが電話の発明をするのも映画の発明と20年違わない1876年で、最初の電話交換局ができたのは、なんと映画が発明されるわずか7年前、1888年です。そしてライト兄弟が始めて動力飛行に成功するのは逆に映画の発明から8年後、1903年のことでありました。

・・・ヤバイでしょ、この時期。もちろん実用化や普及の時期、期間など違うわけですが、みんな世界の感覚を変えていくテクノロジーですよね。映画(映像)の誕生というのは、こういった西洋世界のテクノロジー革新の一部だった、というのは一つ言えることだと思います。

うーん、長くなってしまいました。
もうちょっと短くまとめられれば良かったのですが・・。
お付き合いいただきありがとうございます。

次回は、思想上の転換点としての19世紀末ヨーロッパについてです。あんまり小難しくしないつもりですので、ぜひまたお付き合いください。


追記:ホントはこれらに加えて、この時期に「都市」というものが大きく変わっていく課程、なんてのもあるのですが、ちょっと資料が手元になくて書けません・・。これは多分「映画学入門」の第1回あたりに触れることができると思います。
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コメント
この記事へのコメント
度々失礼しちゃってごめんね。
とても興味深かったし、分かりやすかったよぉv-218

人間が地球を飛び出して他の惑星に降り立った――
というのも、今までの世界観をひっくり返しちゃった出来事に入るのかな。

にしても、御一新ほやほやの国の裏側では、すごいことが起こっていたのね。
2005/08/31(水) 13:10:04 | URL | さぶろー #HHwP0Xsw[ 編集]
>さぶろーさん
コメントありがとございまーす。ちょっと長く書いちゃったんで、分かりやすかったなら良かったんですが・・

人類が他の惑星に降り立った、なんてのはどうなんでしょうねー。やっぱり衝撃的な出来事ではあったんでしょうけども、あんまり身近な生活を変えていくものでもないですから、映像や電話といったテクノロジーとはちょっと違うかも知れませんね。

一般市民にとっては、突然今までになかったテクノロジーが登場した!というよりも、それまで誰もが知っていたけど行ったことがなかった場所に、ついに人類が到達した、という感じですしね。もちろん充分な衝撃だったと思いますが。

でも例えばこれからもし月に行くことが一般化したりすれば、今僕らがいう「外国」の感覚なんか違ってくるでしょうねー。
2005/08/31(水) 19:34:59 | URL | タカ #6SWgxDAM[ 編集]
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