映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
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映画はどこからやってきたんだろーか その参
前回はテクノロジー・技術革新の視点から、映画が生まれた19世紀末のヨーロッパ(というかアメリカの話もあったから、「西洋世界」ですね)を見てきました。今回は、思想上の転換点としての19世紀末西洋世界についてちょっと考えてみたいと思います。

とりあえず、今「思想上の転換点」なんて言葉を使いましたけど、これちょっと小難しそうな感じでよくないですね。要するに、「みんなの考え方が大きく変わる」ってことです。19世紀末には、とりあえず3人ほど、人間のものの考え方に大きな影響を与えた人達がいました。もちろんそれですぐに何かが大きく変わるってわけじゃなくてだんだんと変わっていくのですが・・・。そして大事なこととしては、映画はただ単に彼らの仕事と時期を同じくして誕生した、ということだけではなくて、映画がその発展において、少なくともこの3人のうち2人の仕事と密接に関係してきた、ということです。

書き終わってみると、今回もまたずいぶん長くなってしまいました・・・。

お時間のある時にでも
それか、何回かに分けて
のんびりと

ごらんください。
まず、これは映画の誕生とは30年くらい離れてしまうのですが、カール・マルクスが共産主義の考え方を理論として発表しました。
20050902013450.jpg
全三巻のうち第二、第三巻が死後エンゲルスによって刊行されたマルクスの主著「資本論」のうち、第一巻の刊行が1867年で、最後の第三巻が刊行されたのが映画の誕生の前年、1884年のことであったようです。共産主義の考え方はやがて1917年のロシア革命と、世界初の共産主義国家、ソビエト連邦の誕生につながっていくわけですが、ついこないだ1990年の冷戦終結まで資本主義と共に世界を二分するイデオロギーであった共産主義がしっかりとそのかたちをなしてきたのが、映画の誕生とだいたい同じ時期だったわけです。

映画と共産主義が、直接接点をもっていたのはどこかというと、今でてきたソビエト連邦です。ちょっと前のエントリー:「{映画学入門}こんな感じです」を見てもらうと分かるのですが、第五回、エイゼンシュタイン監督の「戦艦ポチョムキン」がソビエト映画なんですね。革命直後の内乱を経て1918年くらいでしょうかね、ソビエト連邦が全く新しい政治システムの国家として成立して、外からは他の国家がなんとか共産主義を根絶やしにしようと息巻いている。そういうこれから国を、新しい国民意識をつくっていく、という中でソビエト連邦の指導者たちが映画の大衆性と「洗脳性」とでも言いましょうか、映画が見る人を影響する力、に目をつけるわけです。映画のほかの芸術ジャンルとの決定的な違いと言ったら、それは大衆性・娯楽性です。もちろん小説や絵画のように、今は比較的身近なものもあります。でもそうなってきたのはつい最近の話で、小説や絵画は何世紀も上流階級だけのものとして発達してきたわけですよね。映画はそうじゃなくて、まずメディアそのものが若いのもありますが、基本的には生まれてこのかたずーっと大衆のものだったんでした。そして映画には、見ている人をその世界に引き込む力がありますから、映画の中で語られていることにはすごく影響力があった。
またこの↓話しに戻っちゃいますけどね、
nigemadou_huransujin.jpg
こんだけ現実感あるわけですから、映画の中で、現実に存在するAが正義の味方で、Bが悪役だったら、それはその通りAが実際正義の味方で、Bはホントに悪役だと思われたわけです。勿論100人映画見て100人そうだったとは言えないですが、そういう力がすごく強かったのは確かだったと思います。だから新しい国家が、自分のイデオロギーを広く国民に伝えようとするにはもってこいだったわけです。なんせロシアもあんだけ広いですから、僻地の方には革命も何も知らねーよ、みたいなとこもあるわけで、そんなところまで、列車に映画上映装置を積んだ「移動映画館」が行って、ロシア革命の正義を描いた映画を見せていたんですね。ソビエトはやがてスターリンの独裁国家になっていくわけですが、その時代も含めてソビエト映画というのは映画が本来持っている「洗脳性」と、それを国家がどのように利用しうるか、ということの大事なケーススタディになっています。国家が映画を利用する、ってこと自体は別にソビエトだけじゃなくてどこでもやってたことですが、共産主義の政治システムとあいまって、ソビエトで一番顕著に見られた、ということですね。

また1920年代のソビエトというのが映画の表現方法上の発展においても重要な時期で、エイゼンシュタインヴェルトフパドフキンといった重要人物がわらわら出てくるんですね。これらの監督たちもスターリンの台頭とともに表舞台から姿を消していってしまうことになるのですが、「芸術」と「国家の主義・主張(イデオロギー)の宣伝」の中で揺れ動く映画も、また多くのことを教えてくれます。ソビエト映画は、大学で仲良しの先生が専門家ですし、機会があればぜひ詳しく取り上げたいところです。

やべー、マルクスだけで長くなっちゃった・・・

次の重要人物は、哲学者のニーチェさんです。
Nietzsche-san.jpg
彼の著作の中では有名な「ツァラツゥストラはかく語りき」は映画の誕生する10年前、1885年に書かれていて、その中で彼は「神は死んだ!」と言います。ここは哲学のブログじゃないのであんま詳しく書きませんが(そんな知りませんし)、キリスト教に代表されるように「目に見える、偽りの世界」と「どこか別な世界にある、真実の世界」という二元論を中心に展開してきたヨーロッパの価値観が否定された、重大な事件でありました。ニーチェさんについては、マルクスと共産主義のように、映画とのつながりをはっきりと特定できるところはないように思います。ただ20世紀のものの考え方に絶大な影響を及ぼしたニーチェさんの仕事も映画の誕生と時期が近かった、というのはなかなか面白いなーと個人的に思います。フツー哲学と映画なんて、なかなか一緒に語られないですしね。

さて最後の3人目はフロイトです。
180px-Sigmund_Freud-san.jpg
この人が一番映画との直接の関わりが深いと思います。今僕らがフツーに使う「無意識」という言葉がありますよね。また、「夢占い」なんつって、どんな夢みたからこんな心理状態でー、なんてのも今はフツーにありますが、こういう「自分の中に、自分でははっきりと意識できないけれども自分に影響を与えている部分がある」という考え方を最初に提唱したのがフロイトさんです。そそういった無意識とか夢分析なんかを扱うのを一般に「精神分析」といいますね。

つまりそれまでは、みんな自分の中に自分では制御のきかない部分がある、なんて考えていなかったし、認めようとしなかった。「夢」なんてのも、その夢を見ている人の精神状態を反映する、なんて思っていなかったから、なんの意味もないものだと思われてたんですね。だからちょっとおおげさな言い方をすれば、フロイトによって人間は自分たちの心の中に無限の闇と、制御不能なメカニズムが存在していることに気づくわけです。ニーチェさんと同じようにフロイトも認められるまでに大分時間がかかりましたが・・・。ってかまだ認めてない人も多いですし。僕はアリだと思うんですけどねー。そして精神分析の誕生を告げたと言われる彼の「ヒステリー研究」という本の刊行は、なんとビンゴで映画誕生と同い年!1895年です

そして、この「無意識」という考え方がすごく映画と関わってきます。それは簡単に言うと、映画というのものが、見ている観客を無意識に誘い込む装置だからですね。「同一化」と言ったりしますが、映画を見てると主人公の視点から感情移入して見ちゃうわけじゃないすか。別に自分が男だから女の主人公に感情移入できないとか、自分が日本人だからアメリカ人の主人公に感情移入できないとか、そういうことって基本的にないですよね。まぁ映画のできが悪いせいでできないってのはあるにしても・・。考えてみるとスゴイじゃないですか。何言ってるのか言葉だとわかんなくて、字幕読んでても感情移入しちゃうんですよ!映画の魔力ですね。んで、その映画の世界に没頭してる間は、普段の自分の生活とか、悩み事とか、映画館にいる、ってことすら忘れているわけです。つまり無意識の状態で、主人公のピンチにハラハラしたり、泣ける場面で泣いてたりする。だから、映画が観客にどう受け取られるのか、なんてことを考えるときにフロイトと精神分析がよく出てきます。

あと、映画を見るってのは夢を見ている状態にすごく近いですよね。寝ている時のように、映画館は暗くなっていて、目の前に広がっている映像をボーっとみるわけです。そんでその映像の中では基本的に何でもアリで、宇宙戦争だろうが、ぜってーありえねーよみたいな純愛ものだろうが、そういうものとして見るわけじゃないですか。映画と夢の比較、なんてのもあってこれもなかなか面白いんです。映画を知り尽くした男スティーブン・スピルバーグが設立した配給会社が「ドリームワークス(Dreamworks)」なのは偶然じゃないわけですね。

あとフロイトと映画だと避けて通れないところにエディプス・コンプレックスがあるんですが、これはエグイのでまたいずれw


というわけで、人間の考え方がどう変わったか、というのに着目して映画の誕生とほぼ同時期の19世紀末ヨーロッパを見てきたのでした。マルクス、ニーチェ、フロイトの3人と、彼らの仕事と映画との関係でしたね。

お付き合いいただきありがとうございました。

とりあえず、シリーズ「映画はどこからやってきたんだろーか」は一応これでお終いです。ただやっぱり映画と関わりが深いところについてはまたどこかで触れると思います。フロイトとか。
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