映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
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映画学入門Week17(その2)
どうもみなさまお久しブリです。
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五月も終わりますねー。
・・というのにイギリスはまだ微妙に肌寒かったりします。
例年より確実に寒いコレ。

さて業務連絡がひとつございます。

3月26日に「管理人にだけ表示を許可」の状態で書き込みいただいた「クミ」様、大変申し訳ないのですが、今日まで書き込みいただいたのに気づかないでおりました。「管理人にだけ表示を許可」で書き込みいただくと管理者画面の一番下に出るのですが、これホント分かりづらいのです・・・。大変申し訳ありませんでした。そしてご質問いただいた件についてですが、お返事できる連絡先の方が書き込みにありませんでしたので、お手数ですが、画面左側の下の方にあるメールフォームの方からこちらにご連絡いただけますでしょうか?書き込みいただいたのに気がつきませんで重ね重ね失礼いたしました。

というわけで業務連絡でした。

さて、今回もジャンル論の続きであります。
☆ジャンル論と作家主義(Auteur Theory)

ジャンル論って、おおまかに言うと前回(Week14)お話したAuteur Theoryと対立するような関係にあります。あくまで大まかに言うと、ですよ。それというのも、Filmstudiesにおけるジャンル論っていうのは作家性や「芸術家」というアイデアを大事にし過ぎるきらいがあるAuteur Theoryへの反発からでてきたっつうような面があるからなんです。映画ってのは大衆芸術・娯楽であるところにアイデンティティがある、と言うことができますから、映画監督を芸術家として見るような(主に文学批評やアートから来た)概念よりも、もっと映画的な映画批評の方法があるんじゃないの?ってわけです。「ジャンル」というと、間違いなく普段うちらが映画(商業映画)を考える際に基本にしてるものですし、前回お話ししたように、うちらが映画に期待するものを形作る大事な要素のひとつなわけです。

それと、Auteur Theoryにそって考えると、(一部の)映画監督=芸術家なわけですから、基本的に映画監督が映画の意味をつくっていて、観客はそれを受け取る、という一方通行的な意味生成の流れになってしまいがちです。観客が受動的、といいますか。でもジャンル論、ということでジャンルを中心にしてちょっと映画を考えてみると、それは「ジャンル」を通じて映画の作り手が映画をつくり、それを観客はジャンルごとの「決まり」「伝統」「パターン」「期待されるもの」etcに沿って映画を受け取るわけですから、映画が意味をつくる過程、というものを考える時に、それを双方向的で柔軟なものとして見ることができますよね。

というわけで、ジャンル論とAuteur Theory、もちろん両方とも一長一短なわけですが互いにやや対照的な面がある、ということを覚えておくとちょっといいかも知れません。

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☆「ジャンル」という概念のクリエイティブな捉え方

さてそんなジャンル論ですが、「ジャンル」というのはただ単に、既に存在している映画をカテゴリー分けするためのものでもなくて、映画をつくる際にもこのジャンルってものをクリエイティブに利用することができるわけです。

その例としてちょっと分かりやすいのは、先週扱ったファスビンダー。彼は「メロドラマ」というジャンルをかなり積極的かつクリエイティブに利用して映画をつくった人でした。

ジャンルごとに色んな特徴ってもちろんあるわけですが「メロドラマ」の特徴とは何か、と考えてみると、そのひとつに「強い感情移入」ってのがあるわけです。つまり、メロドラマってのは基本的にコテコテの恋愛ものであって、主人公の困難や恋愛に対して感情移入する度合いが強いんじゃないかって話です。もちろん商業映画の基礎は「同一化(Identification)」ですから、他のジャンル、たとえば西部劇やホラーであっても主人公に同一化はするわけです。でも「感情移入」という観点から見ると、やはりメロドラマはすごく強い、と一般的に言われます。まぁ今週のお題になってる「エイリアン」にしても、主人公リプリーになった気分でハラハラしたりドキドキしたりはしますが、感情的に「リプリーかわいそう」みたいなのってやっぱり薄いじゃないですか。一般的にメロドラマにあるような「困難」ってのが、うちらが実生活で体験しうるような困難に近いのに比べると、ホラー映画なんてのは「困難」っつうより非日常的な「危険」っていうニュアンスの方が強いですしね、普通。

さてそうなると、メロドラマというジャンルは観客を主人公に感情移入させる強い力を秘めている、ということになります。ファスビンダーはこれを利用して、観客に、主人公の状況を通して社会の矛盾や問題を感情的に体験させる、ということをするんですね。先週もお題映画として出てきた「不安の魂」ですが、これも社会階級の問題や人種差別の問題を意図的に組み込んで、かつメロドラマとして見せることによって、観客は、主人公が向き合う社会的な問題を、主人公が向き合うように、強い感情的な同一化をもって体験するわけです。まぁ誰にとってもそう上手くいくわけではないですが、そういう側面を見ることができるんですよーって話です。本や新聞なんかで「こういう社会問題があります」「こういう人種差別の問題があります」っていうような話を読んでも、イマイチ感情的にはうちらは距離を置いて接するじゃないですか。でもここでメロドラマっていうまさに感情だけで出来ているような映画ジャンルの構造を利用することで、そういった問題と感情的で距離が近い接し方ができる、というのがファスビンダーの狙いのひとつだったようです。先週のエントリーにかよこさんがコメントしてくれていたように、ファスビンダーって人は理論的な面ばかりで映画をつくっていたわけではなくて、本人が好きだから、憧れていたから、ってのも勿論あるんですがね。

こんな感じで、「ジャンル」って考え方は映画をつくる際にもクリエイティブなものとして働いてくることがよくあります。



というわけで「ジャンル論」第二回でした。
次回は「ホラー映画」をケーススタディとしてもうちょっと深くやってみる予定であります。

ではでは、また。



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コメント
この記事へのコメント
>でた!ファスビンダーだ!
クスクスにこだわるアリにも、悲惨なエミィにも感情移入に失敗したLushyです。クスクスが無いならパンを食べろよ!パンを!みたいな。あ、こう思った時点でエミィに感情移入してるのかな;?それと質問です。
メロドラマやフィルムノワールは「サブジャンル」なんですか?サブジャンルは流行廃りがあるって本当ですか?ってゆうか、サブジャンルって何ですか?
幼稚園児にもわかるようにおしえて下さい。
2006/06/06(火) 10:15:55 | URL | Lushy@シュルレアリスム実践メモ(仮) #-[ 編集]
ファスビンダーと、ジャンルについて
どうもLushyさんいつもお世話になっとります。

まぁぶっちゃけ「不安の魂」は、メロドラマだけど、ハリウッドのメロドラマと同じ意味で「感情移入/同一化」ってのは難しい映画だよね。暗いし主人公達に色気がないしね(笑)。ただ、Lushyも書いていたように「クスクスがないならパンを食べろよ!パンを!」というように自分の感情が物語の中に参加(involve)するってのはメロドラマ的だし、ファスビンダ-はそこらへん上手いんじゃないかな。

あとメロドラマやフィルムノワールは、サブジャンルというよりはひとつの「ジャンル」かな。フィルムノワールはジャンルかムーブメントか、っていう議論もちゃんとあるんだけどね。サブジャンルっていうとホラーの中のスプラッターとかゾンビものとかっていう「ジャンル」の中に含まれる沢山のもっと細かいジャンルたちだから、例えばメロドラマの中だったら「母親もの(母親が苦しみながらも子供を育てる映画=「Stella Dallas」とか)」とかそこらへんじゃないでしょうか。

サブジャンルに流行り廃りってあるのかどうかはよく分からないけど、かなり時代に敏感だとは思うから、そういうのあるのかもね。ゾンビものなんかも、90年代終わりくらいからまた流行ってきた感じだしね。まぁここらへん俺にはよく分からないけど。
2006/06/11(日) 01:44:07 | URL | タカ@映画学メモ風味 #6SWgxDAM[ 編集]
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