映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
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映画学入門Week17(その3)

というわけで久しぶりに映画学入門の再開でっす。

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もう最後にやったのがどこだか覚えてない方が俺の他にも沢山いらっしゃると思いますが、実はジャンル論(Genre Criticism)をしていたわけですね。ジャンルとは何か、また映画学的にジャンルはどう語られるのか、といったあたりを簡単にやってみたのでした。

今回はそのケーススタディということでホラー映画をとりあげます。一応今年のコースでは映画「エイリアン」のみを題材にやってたようですが、俺が4年前にこのコースとった時は「ゾンビ」も使ってまして、「ゾンビ」の方が分かりやすいし俺が大好きなので、とりあえずゾンビくんたちでホラー映画の話をして、その後「エイリアン」あと時間があったら貞子ちゃんあたり、いきたいなと思います。

2、ホラー映画

このエントリーは、去年の10月4日付けのエントリー「ちょっとだけ映画学 ===ゾンビはどこからやってきた?===」を元に、加筆・修正してお送りします。

さて、ホラー映画というジャンルの映画学的な研究・議論を考えると、やっぱり一つの中心になってくるのが「モンスター」の存在なわけです。基本的にホラー映画にはモンスターが出てきますよね。それは人間だったり人間じゃなかったり、かたちがあったりなかったり、単体だったり集団だったり、でも何か、主人公に脅威となる存在として「モンスター」が出てくる、と。さらに、今まで映画学メモでやってきた(ここここなど)ように映画を見ている際は観客は主人公に同一化(Identification)してるわけですから、主人公とモンスターの関係、というのはとりもなおさず観客とモンスターとの関係、ということにもなってきます。ここらへんをひっくるめて「モンスターとは何か?」というのがホラーにおけるジャンル論の重要な問いになるわけです。

そんなホラー映画とモンスターについての理論たちの中でも特に有名なやつが「抑圧の回帰」論(Return of the Repressed) です。70年代にロビン・ウッド(Robin Wood)という人が唱えた理論で、フロイトさんの精神分析がベースになっていますけども、精神分析についての興味・知識がなくても楽しめる理論なんじゃないかなーと個人的には思います。

この理論は大雑把に言うと、ホラー映画のモンスターは、その映画がつくられた社会の意識の中で集合的に抑圧されているものがかたちになって現れた(回帰した)ものだ、という理論です。もちろん「抑圧」と一口に言っても色んな種類の抑圧がありますし、モンスターの中にある社会的な抑圧は一つではないかも知れません。ただ、何かしら自分達が無意識のうちに考えないように、見ないようにしているものがホラー映画におけるモンスターの根源だ、とWoodさんは言うわけです。

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噂のWoodさん

たとえばゾンビですが、ゾンビというのは、生きている人間の肉を食べなければ生けていけない(ゾンビが「生けていけない」ってのも変ですが・・)存在です。これはつまり他人を犠牲にしないと存在し得ない、ということですから、普段社会的規則や制約に従いながら、なんとか他人と上手くやっていこうとしている僕らの心の暗い部分(つまり無意識の部分)を映し出したものなんじゃないか、という風に見ることができます(でもこれはあれですよ、精神分析系の理論はみんなそうですが、「○○○である!」と言っているわけではなくて、そう見ることができる、という話です)。「文字通り「みんな他人を食い物にしないと生きていけない」という普段僕らが生きている社会では抑圧されている/見ないようにしている考え方をゾンビが僕らに突きつけるわけです。

またゾンビは、「ゾンビみたい」という言い方があるように、社会の中で人間らしさ(人間らしさ、ってのも主観的な言い回しですが・・)を失ってしまった僕らの姿を鏡のように映しだしている、ということもできます。これは例えば毎日同じことの繰り返しで、決められたことだけをこなしていく「普通の」人間とゾンビってどのくらい差があるのだろーか?というような感じの、まぁ最近よく言われることですが、そういうことですよね。僕らはよく「生きている実感」なんて欲しがったりしますが、そういう僕らの生に対する不安な部分もゾンビは突きつけてくると言えるかも知れません。ここらへんのテーマは俺の見た限りではほぼ全てのゾンビ映画に見ることができますし、最近の「ランド・オブ・ザ・デッド(Land of the Dead)」「ショーン・オブ・ザ・デッド(Shaun of the Dead)」を見ると昔のゾンビ映画に比べて明らかにゾンビと人間の距離は短く、境界は曖昧になっています。

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「ショーン・オブ・ザ・デッド」(Shaun of the Dead)2004年
監督:エドガー・ライト

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「ランド・オブ・ザ・デッド」(Land of the Dead)2005年
監督:ジョージ・ロメロ

あとこれは日本の話ですけども、最近しばらく「癒し系」なんて流行ってるじゃないですか。これなんかもその「癒してくれるもの」ではなくて「癒される人」を見てみると、これは別に一回癒されて終わりってわけではなくて、癒し系が好きな人はいつまでも癒されたい、という願望を持ちながら癒しを求めているように見えます。これって結局「つかの間の浄化を求めながら決して浄化されえない存在」というわけで、これなんかまさにゾンビっぽいな、なんて思ったりします。最近またゾンビ映画が増えてきた、なんて言われますが、やっぱり社会の雰囲気と関係したところはあるのかも知れません。

・・と話がそれましたが。



というわけで、ホラー映画のモンスターというのは、僕らの中で無意識に、集合的に抑圧されているものがかたちになって現れたものだ、という「抑圧の回帰論」の大まかなところをゾンビを例にとってお話してみました。ジャンル論のケーススタディとして扱ったホラー論の中の、さらにケーススタディとして「抑圧の回帰論」ですから二重のケーススタディになっちゃいましたね。

もちろんホラー論の中にはこの「抑圧の回帰論」の他にも色んな理論がありますし、クローネンバーグの映画を使って「抑圧の回帰論」へ反論するような論文もあったりするわけです。

次回は「エイリアン」でまた「抑圧の回帰論」をちょっと違った角度から見てみましょう。

ではでは、また。

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テーマ:ホラー - ジャンル:映画

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