映画学メモ
日本ではまだイマイチ馴染みの薄い「映画学」なるものを、イギリスの大学から実際の映画学の授業に沿うかたちで紹介していきたいと思います。まー気楽にいきましょう。
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映画学入門Week17(そにょ4)
さて

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ホラー映画の話の続きをいたしましょう。前回は、ジャンル論のケーススタディということでホラー映画をとりあげ、さらにそのホラー映画論の中でもかなり影響力がある「抑圧の回帰論(Return of the Repressed)」の大まかなとこについてゾンビくんたちと一緒にざっとお話しました。

今回はちょっとそれを広げていく感じでやりましょう。

ところで前回も書きましたけども、この「抑圧の回帰論」ってのはホラー映画についての絶対的な理論でも唯一無二の理論でもない、ってところは注意してくださいね。他にも色々あるわけですが、この「抑圧の回帰論」が一番理論としてのかたちもしっかりしてて分かりやすいし、好きでも嫌いでも無視するわけにはいかない影響力のあるものなのでとりあげている次第なのです。

前回は「社会の中で抑圧されていて、モンスターというかたちをとって回帰しているもの」として「人間らしさ」というようなものを中心にお話しましたけども、「抑圧」と一口に言っても色んな種類やかたちがあって一つではありません。ですから同じホラー映画についても、例えばそこにどんな種類の抑圧を見出すか、ってのは語り方について変わってきます。

例えばゾンビ映画の金字塔「ゾンビ」。この映画には前回話したような、僕らが抑圧している「生への不安」が回帰したもの(つまり「非人間的な私たちの鏡」)としてのゾンビがうじゃうじゃ登場しますが、ちょっと違った角度から見てみると、この映画(のゾンビたち)にはアメリカの人種問題についても何か見出すことができるように思います。基本的にはこの映画は人類みんながだんだんゾンビになっちゃうっつう話ですから人種問題も何も関係ないように見えますが、よく見るとこの映画、重要なシーンで出てくるゾンビはみんな白人以外のゾンビなんですよね。つまり一番最初にゾンビが初登場するところは黒人の人ばかり住んでアパートが舞台で、また物語の中盤、ヒロインが一人で取り残された時に迷い込んできたゾンビに襲われるシーンがあるんですが、そこは中国系のゾンビです。個人的にはここらへん不特定多数のゾンビではなくてクローズアップされるので印象に残りました。そうすっともしかしたらこの場合、アメリカが抑圧している人種差別的な意識や他民族流入への不安がゾンビ(不死であり、増殖・侵略するもの)として回帰している面がある、と言えるかも知れませんよね。

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「ゾンビ」(Dawn of the Dead) 1978年
監督:ジョージ・ロメロ

さて、ゾンビくんの話はとりあえずここで置きまして、今度は「エイリアン」について考えてみましょう。エイリアン・シリーズっていうと1から4まであるんですが、映画学ではとても人気がある題材です。うちの先生は「エイリアン学っつうのが存在している、と言っても過言ではない」なんて言ってました。それくらいエイリアン・シリーズは色んな観点から色んな要素を見ることができるんですね。今回はその中から初代の「エイリアン」です。

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「エイリアン」1979年
監督:リドリー・スコット

この映画をホラー映画として見て、さらにそのモンスターであるエイリアンを何らかの抑圧が回帰したものとして見てみますと、例えば曖昧な性別という概念なんてのを見ることができるかも知れません。僕らは普段、男は男、女は女として性別を明確かつ絶対的なカテゴリーとして捉えようとしていますけども、そこで「男でも女でもないもの」または「性別という概念に収まりきらないもの」を抑圧している、と考えてみるわけです。するとエイリアンは色んなレベルでその抑圧が回帰したものに見えてきます。例えばエイリアンが生まれる時ってのは、これは有名なシーンですが、登場人物の一人の体の中から、胸を食い破って出てくるんですよね。これはよく「男性が子供を産む」という男女間の役割の転換として捉えられたりします。そしてエイリアン自体が、男性的でもあり女性的でもあるフォームを持っています。つまり、しなやかで柔らかく細身な体と、攻撃的でよく男性器のかたちに似ている、と言われる頭部の部分です。あの口の中からぬらーんってまた口が出てくるところとかですね。そんなわけでモンスターとしてのエイリアンを両性具有者(アンドロジナス)として見る映画理論はよく聞きます。ここらへん、性別という概念を絶対的なものとして扱おうとする僕らの社会で抑圧している部分かも知れません。

ただ「抑圧の回帰」だけでエイリアン・シリーズを語ろうとするとやはり難しいものがあり、それはなんでかと言いますと、エイリアン・シリーズは映画自体が実に多くのものを語っているので、モンスターの存在に焦点をあてる「抑圧の回帰論」だけではさばききれないんですよね。ってこれは今書いてて気がついたんですが。。。。例えば上記のようなジェンダー系の問題にしても、それはモンスターだけでなく「戦うヒロイン」としての主人公リプリーの議論を抜きにしては語れないですよね。また、例えばその議論は「エイリアン」の舞台となる宇宙船:ノストロモ号を一つの家庭としてみる議論、つまり文字通り「Mother」と呼ばれるマザーコンピューターを母親、そのマザーコンピューターと繋がっている陰の支配者であるサイボーグ科学者アッシュを父親とした上でリプリーの位置づけを考えたりする議論とどうつながっていくのか・・・などなど。

ここらへん、「エイリアン」は「抑圧の回帰論」の一例でもあり、またそのひとつの限界をしめす作品でもあるのかな、と思います。ってか今思いました。ふむ。



「エイリアン」についてはかなり歯切れが悪い感じですいません。。色々ありすぎて語るの難しいんですよーこの映画。

次回は「抑圧の回帰論」シリーズの最後として「リング」の貞子とは何か、ということについてちょっとやりましょう。

ではでは、また。

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コメント
この記事へのコメント
こんにちわ
ずーっと前にリュミエール兄弟の映画発明が1985年になっていたところをつっこませていただいた者です(笑)覚えていますでしょうか?
昨日ゴダールの「勝手にしやがれ」とハリウッドリメイク版(リチャード・ギアの)もさわりだけ見ました。続けて見比べると結構おもしろいですね♪
さて、ゾンビですが、私はホラー大の苦手なのでずっと避けてきたんですが、数ヶ月前に、人から「これはヒューマンドラマだ」と言われ、正直「ハァ?」と思っていました……が、今回タカさんが書かれているようなことを説明されてから、私の中で「ただのキモイゾンビ」から「ちょっと奥が深いゾンビ」になりました。
和製ホラーはちょっとまだ抵抗ありますが、Shaun of the Deadは大好きになりました(あれは半分コメディーでしょうか?笑)
2006/07/14(金) 21:16:16 | URL | fuji #-[ 編集]
ヒューマン・ゾンビ
fujiさんこんにちは。
お久しぶりです!

リメイクって、映画としてイイかどうかは別として、原作と比べてみるとすごく面白いですよね。

ゾンビについて「ヒューマンドラマ」というのはまさにそのとおりだと思います・・・考えようによっては(笑)。でもゾンビを見せることによって、まさに「ヒューマンとは何か」というのが問題になってるわけですもんね。ゾンビくんたちにちょっと奥の深さを感じていただけたらならとても嬉しいです。

Shaun of the Deadもコメディーの要素が強くありますが、そういう意味ではゾンビ映画の正当な後継者ですよね。ゾンビ映画には、いつもある種の「滑稽さ」というのが実はつきまとっていて、それを自然に発展させただけなのかも知れません。

書き込みありがとうございましたー。

2006/07/17(月) 07:23:16 | URL | タカ@映画学メモ屋さん #g.JWP/mc[ 編集]
エイリアンのヒロイン
久しぶりです。ようやくゆったりとした時間が少しばかり回帰しました。映画はほとんど観てないです。黒木和雄監督が亡くなられたので「龍馬暗殺」を最近観た程度です。あっそうそう、明日小津安二郎監督の「出来ごころ」をなんと弁士つきでみます。明後日から七夕なので、その前夜祭の意味もあるようです。楽しみです。
 ところで、ゾンビと「暴力」「死」の関係をお話していただければと期待します。
ゾンビを巡るレイシズムもそうですが、エイリアンに関するジェンダーの視点、個人的印象も含め納得です。というか、ヒロインがエイリアンが一作から二作目と進むにつれて、ファロス中心主義を乗り越えて(いや、シカトして)行くような展開を見せていると思っていました。
 一作目のヒロインはまさに手弱女ぶりを見せていて、特に最後のクライマックスに対して、男性の視点から「かわいらしい」(女性達に罵倒されそう・・・)と思って観ていました。記憶が定かではないのですが、そんな彼女が二作、三作と進むにつれて、軟弱な男どもより「頼もしく」なっていき、対等以上の位置に立つ。これは、誤解を恐れずに言うなら、ヒロイン自身も男根の象徴としてのエイリアン化していく?そして、二作三作と進むにつれ、エイリアンが人間的=女性的(とされてしまっている)弱さすら露呈していったのでは・・・、といううっすらとした記憶があります。自信がありませんが・・・。
 (最後に、私事で恐縮ですが、いつぞや大変お世話になった次男が、なんとか先の目処
が立ってきたようです。彼はエイリアンのアーティスト、ギガー(だったっけ?)の世界の爬虫類的・機械的な暗黒世界ではありませんが、重たい色調の作品を描いているようです。)
 
2006/08/04(金) 01:34:07 | URL | ヤドリギ金子 #-[ 編集]
はじめまして
はじめまして。
まだ最初の方しか読ませていただいてないのですが、私の通ってる大学(パリです)とはまた違った感じで、おもしろいです!
続きをゆっくり読ませていただきます、と楽しみにしていますが、もしかしたらもう卒業されてしまった?!
見つけるのが遅すぎたでしょうか??
2006/10/18(水) 22:05:00 | URL | たかやん #-[ 編集]
>ヤドリギ金子 先生
ヤドリギ先生お久しぶりです!というかコメントにお返事もつけずに放っておいて大変申し訳ありませんでした。

このコメントいただいた翌日でしたか、お会いしてお話したのでなんとなくそのままにしてしまったような記憶があります。重ね重ねすいませんでした。

まだ見てくださってるといいのですが・・・。近いうちに連絡差し上げます!
2006/10/30(月) 15:35:09 | URL | タカ@映画学メモの中の人 #6SWgxDAM[ 編集]
>たかやん さん
コメントどうもありがとうございました!

お陰様で再開です。一応修士の方は全部終わって日本に帰ってきたのですが、映画学メモの方はまた続けていくつもりですのでぜひまた遊びにきてくださいませ。

パリの映画学も面白そうですね~。イギリスとフランスの映画学の違いなんかも興味があるところです。
2006/10/30(月) 15:39:35 | URL | タカ@映画学メモの中の人 #6SWgxDAM[ 編集]
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